1983(昭和58)年の夏休み、飯田線へ「さよならゲタ電」の撮影に行った帰り道、浜松機関区へ立ち寄った(その1、その2、その3←それぞれ太字をクリックするとレポートに飛びます)。
この日、浜松機関区の広い構内には、役目を終えて解体処分を待つEF58といった電気機関車や、飯田線を走っていた旧型国電が留置されていた。
それらは長く雨ざらしになっていたので、どれも至る所に茶色い錆(さび)が浮いていたが、いざパンタグラフを上げると、息を吹き返していた。
初めて見たEF58のトップナンバー機である1号機も、先輪は既に輝きを失い茶色くなっているのが見えた。
この1号機は翌1984(昭和59)年1月に廃車となっているので、この後も4カ月ほど留置されていたようだ。
1号機と背中合わせになっていたのは、172両が製造されたEF58の中では数少ない(=5両のみ)「鋳鋼製」の先台車を履いている珍車の5号機だった。
その特徴的な先台車も、既に注油されなくなって半年以上が経過していたことで、錆びて茶色っぽくなっていた。
この5号機も、1号機と同じく翌1984(昭和59)年1月に廃車となっている。
機関庫の中には、まだ現役だったEF58の167号機の姿があり、国鉄職員の方々が手入れされていた。
この167号機は、鉄道写真を撮り始めて間もない1978(昭和53)年2月12日に鉄道写真を撮りに京都駅へ行った時、1番ホームの東端にある留置線に止まっていた機関車だった。
ヘッドマーク台座の無いことでも知られていた167号機は、翌1984(昭和59)年6月に廃車となっている。が、同年4月に浜松地区で「さよならEF58」が運行された際には、なぜかヘッドマーク台座があったので、わざわざお別れ運転用のヘッドマーク取り付けのために台座を取り付けたという話がある。当時の国鉄は、こういう細かいこと(=鉄道ファンの要望に応えること)をよくやっていた気がする。
同じ機関庫の隣には、ED62の9号機の姿があった。同機は、元々はED61のトップナンバー=1号機として製造され、ED62に改造された。
この撮影時には元気だったが、残念なことにその後はJRに引き継がれること無く、国鉄時代に廃車となったようだ。
こちらも現役だったEF58の142号機が、浜松機関区を出庫していった。
この142号機も、翌1984(昭和59)年11月末に廃車となっているので、最後の活躍を見せていた時ではあった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。