1987年5月 山陰線・千代川駅

4月1日に国鉄がJRに変わった1987(昭和62)年。ただ、国鉄が民営化されたといっても、一気に何もかもが変わる訳でもなく、それは地方に行けば行くほど、実感に乏しいものだった。

初夏を迎えた頃、京都府亀岡市にあるJR山陰線の千代川駅を訪れた。当時、山陰線にはDD51型ディーゼル機関車がけん引する客車列車がまだ何本も走っていたので、乗りに行ったり、撮影に通う日々が続いていたのだった。

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この日は雨上がりの朝だった。千代川駅は、よくある地方の小さな「国鉄の駅」という感じだった。1935(昭和10)年に開業した時に建てられた木造駅舎であり、風情が感じられた。
 国鉄がJRに変わったといっても、駅舎にもホームにも、どこにもJRのマークはまだ見られなかった。

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単線だった当時、停車する普通列車の本数は今より少なかったが、すれ違いのできる駅であり、駅員さんも常駐していた。

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普通列車が発着する時間帯になると、次々と利用客が駅のホームに入場してきた。当時、まだ京都縦貫道は開通しておらず、亀岡市内から京都市内へ向かうには、自動車やバスだと国道9号線の老ノ坂峠を通らなくてはならなかったが、交通量が多いので頻繁に渋滞が起きていた。

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朝のラッシュタイム、山陰線・京都-園部間の普通列車には、福知山機関区のDD51がけん引する8~10両の客車列車が何本も運行されており、まさに次々とやって来ていた。

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既に旧型客車の姿は消えていたが、真っ赤な50系と青い12系が活躍していた。
 どちらも自動ドアの車両なので、かつて旧型客車で見られた「飛び乗り」「飛び降り」する乗客の姿は、もう見られなくなっていた。

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国鉄時代の末期に大量に製造され、日本各地で旧型客車を置き換えるべく登場した50系客車だったが、山陰線の京都口での活躍期間は、結果的には10年にも満たない短いものになってしまった。

千代川駅の風情ある木造駅舎は、その後、改修されて見た目はかなり変わってしまったものの、今も健在である。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。