1983年8月20日(土)~21日(日) 飯田線・さよならゲタ電

鉄道写真を撮り始めて、最初の頃は特急やブルートレインを追いかけていた。もし、あと数年早く生まれておれば、その対象にSL=蒸気機関車も含まれていたことだろう。実際、自分より数年上の世代の人には、趣味が「SLの写真を撮ること」としている人がけっこういる。それぐらい、当時の少年たちの間では流行していた訳だが。

そんな自分も、撮影の対象が少しずつ変化していった。中でも、当時「旧国(=旧型国電)」と呼ばれていた、旧式の電車は、国鉄の路線から次々と姿を消している状況だったので、少し前にSLが次々と姿を消していった状況に似ていて、コアな鉄道ファンの間では、恰好の被写体になっていた。

愛知県の豊橋市と長野県の辰野を結ぶ国鉄飯田線は、そんな旧型国電が最後まで主力として活躍していた路線だった。1983(昭和58)年の夏、その飯田線から旧型国電が姿を消すことになった。最後の「お別れ運転」も行われることになり、友人たちと乗りに行くことにしたのだった。

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前日にお別れ列車の始発駅である中部天竜駅に到着し、旅館で一泊。夕食に名物だという「馬刺し」が出たことを覚えている。

お別れ運転の当日は、朝から良い天気に恵まれた。出発を待つ電留線(=電車留置線)には、ヘッドマークを掲げたお別れ列車が待機していたが、駅員さんの取り計らいで、訪れた鉄道ファンは構内での撮影を許可された。

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思ったほどの混雑はなく、普通に座席を確保することが出来た。ホームには地元の人たちが旗を持って見送りに来ていて、山間の小さな町では、ちょっとした催しになっているのだと感じさせられた。

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「さよならゲタ電」と名付けられた列車は、伊那の山の中を縫うように北へ向かって走って行く。沿線には最後の勇姿を収めようとカメラを構える鉄道ファンの姿があちこちにあった。

ちょうど、この日、夏の甲子園の準決勝が行われていて、なぜか車内で適宜ラジオ放送が流されていた。その試合とは、1年生の4番清原と1年生のエース桑田というKKコンビを擁するPL学園と、エース水野が率いるやまびこ打線の池田との死闘で、それだけ世間の注目度が高かったということでもあった。

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終点の伊那松島に到着すると、お別れ列車はすぐに隣の機関区に入場した。

鉄道ファンであふれかえった機関区は、特に見学会でも何でもなかったのに、完全に開放状態になっていた。

その目の前で、国鉄職員の皆さんは洗車したり、点検したり、日常の業務をこなしていた。

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それでいて、鉄道ファンの興味がありそうな車両を撮影しやすいように移動してくれたりで、大サービスしてくれた。

最後には、それらの車両を横並びにしてくれた。業務中であるにも関わらず、これだけのことをするのは、今の時代だったら、きっと不可能だろう。

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どこか、懐かしい、古き良き時代ではあった。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。