1987年は、国鉄がJRに変わった年だったが、振り返ってみれば、自分の人生において、最も鉄道写真を撮った一年でもあった。
ちょうど大学生の頃で、最も自由に行動することができた時代だった。
この年の夏は、岡山へ帰省した後、四国へ立ち寄った。
既に鉄道ファンに人気の高かったDF50型ディーゼル機関車の姿は無くなっていたが、まだ瀬戸大橋が開通する前だったので、宇高連絡船を利用しての四国行きだった。

四国のド真ん中とも言える土讃線の箸蔵駅で途中下車。駅前の自販機で飲み物を買ったら「当たり」が出て、もう1本もらえたのをなぜかはっきりと覚えている。
この駅の手前は、鉄道車両にとっては厳しい斜度の坂。大きなエンジン音を響かせながら、特急「南風」が姿を見せた。

当時、まだまだ機関車が牽引する客車列車が残っていた。
エンジンの付いてない客車は、カタンカタンと軽やかな音を響かせながら、大歩危・小歩危の渓谷沿いを走っていた。

高校野球に出場する池田高校のある阿波池田駅は、四国山地の真ん中にある、ちょっとした大きな駅だった。

駅前には、甲子園出場を祝う看板も掲げられていた。

徳島線に乗って、徳島へ向かうが、当時は、まだエアコンの装備の無い車両が多かったせいか、真夏の運転席は猛烈に暑く、乗務員が貫通扉を開け放って運転しているケースを多々見かけた。
今だったら、大問題になる行為かもしれないが、当時はそういう面でも大らかだったということか。

次第に日が傾いていく。
徳島に着いた頃には日が完全に暮れていたが、駅も車内も、ちょうど行われていた「阿波踊り」を楽しもうという浴衣姿の人たちであふれていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。