1978年3月29日(水)&4月5日(水) 岡山地区の80系

物心ついた時から、なぜか肌身離さず図鑑を持ち歩いていた自分。最もお気に入りは魚の図鑑で、3歳の頃には図鑑に乗っている魚の名前を片っ端から覚えていたらしい。

その話は、成長してからも、親類などから何度も聞かされたぐらいだから、よっぽど周囲の大人には変わった子どもに映っていたようだ。

幼稚園に入った頃から鉄道に興味を持ち始め、持ち歩く図鑑の種類が鉄道に変わった。その図鑑に載っていた車両の中で、最もお気に入りだったのが、ハチマル=80系電車だった。

80系電車とは、「湘南電車」と呼ばれて親しまれた車両で、それまで機関車が客車を引っ張る従来の形態から、加減速・高速性能に優れた、本格的に長距離を運行する電車として1949(昭和24)年に登場した。全面2枚窓の流線型デザインは、その後の鉄道車両に大きな影響を与え、国鉄・私鉄を問わず、似たデザインの車両がいくつも登場した。

だが、物心ついた頃には、もう京都駅では、何度足を運んでも80系電車の姿を見ることはなかった。子ども向けの鉄道本には、もっぱら新幹線や特急電車、さらにはブルートレインばかりが取り上げられていて、一般的な電車である80系など、どこにも見当たらなかった。

小学校5年生の夏を過ぎた頃、祖父母が兵庫県から岡山県へ引っ越したのだが、年末年始に帰省した帰り道、山陽新幹線の車中から、偶然にも在来線を走る80系電車を目撃した。まさに衝撃的な出来事ではあった。

そして迎えた翌年の春休み、わざわざ在来線に乗って京都から岡山へ向かったのだった。

京都から新快速に乗り込み、終点の姫路駅で乗り換え。そして岡山行きの快速列車を待っていると…

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そこに姿を表したのが、夢にまで見た80系電車だった。

最終生産の全金属製車体モデルだったので、ここまで乗って来た新快速の車両(153系)と、それほどの違いは無かったが、独特な吊り掛けモーターの音が印象に残った。

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岡山駅に着くと、乗って来たのとは別の80系が別のホームに止まっていた。こちらも全金属製のモデルだった、

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運転台は、非貫通構造のために広く見えた。きっと見晴らしも良いのだろうな、と思った。

祖父母宅で一週間過ごした後、現地でカラーフィルムを入手して、楽しみにしていた帰り道。

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全く同じ場所に、また80系がたたずんでいた。

帰路は赤穂線経由の電車に乗り込んだが、残念ながら80系ではなかった。

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向かいのホームには、広島の方へ向かう80系が停車していた。

どの列車が80系かなんて、時刻表にも載ってないので、当時の自分に知る術はなく、全くの「運」しかなかった。

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赤穂線は単線なので、何度か対向の80系とすれ違った。

この春休みから数ヶ月が経った、次の夏休み。残念ながら、もう80系に出会うことは出来なくなっていた。春休みが終わった直後、山陽地区から80系は姿を消していたのだった。

幸運にも、当時の国鉄幹部が、80系電車の持つ文化財的価値を考え、全くの独断でトップナンバーの先頭車とパンタグラフとモーターの付いた電動車を1両ずつ、山口県内で保管した。その2両は、その後、国鉄がJRになってから大阪の交通科学博物館に移された。同館の閉館後、2016年春に開館する京都鉄道博物館で、再びお目見えすることになっている。

だが、残念なことに、保存されたトップナンバーの先頭車は前頭部が3枚窓になっている(注*3枚窓は初期型の車両で、その後、2枚窓にマイナーチェンジされた)。子どもの頃から憧れのデザインだった、湘南電車の代名詞である2枚窓の先頭車両は、既に全て廃車解体されてしまっており、もう二度と見ることは出来ない。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。