1983年8月21日(日) 国鉄・浜松機関区 その2

1980年代半ばの昭和50年代のまだJRが国鉄だった頃の話になるが、当時は機関区や操車場と呼ばれる機関車や電車といった車両が集うスペースで、訪れた鉄道ファンの「見学」という名の撮影がごく普通に許されていた場所がいくつもあった。 

1983(昭和58)年の夏休み、飯田線へ「さよならゲタ電」の撮影に行った帰り道、浜松機関区へ立ち寄った(←太字をクリックすると、その1のレポートに飛びます)。

当時、関西地域では米原機関区や竜華機関区で「見学」ができたので、そこに所属するEF58を何度か撮りに行っていた。浜松機関区も、人気のEF58が数多く所属している機関区の一つではあったが、他の機関区に比べて初期型などが既に淘汰されていて、見た目に大きな特徴が無い最後期の型ばかりになっており、正直言って、あまり期待していなかった。しかし、広い構内にはお役御免になった旧型国電が多数留置されているとのことで、足を運んだ次第だった。

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機関区の構内に目に付いたのは、EF58の160番台と、EF60の後期型だった。

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庫内には、ED62とEF60の初期型の姿が見えていた。

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まだ2軸貨車で編成された一般貨物列車が健在だった時期なので、このEF60初期型も最後の活躍を見せていた。

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浜松機関区にいるEF58は、みな黒Hゴムの小窓タイプで、細かい差異があったのかもしれないが、当時の自分にはどれも同じに見えて面白味を感じなかった。

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庫内には、パンタグラフのすり板が山積みになっていた。よく見ると、使い古したものと、新品が分けて置いてあった。

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旧型国電が留置されていたエリアには、EF58のトップナンバーといった初期型が錆だらけになって放置されていたが、1号機の姿のみしか撮っていなかった。この時は、旧型国電の方ばかりに興味をひかれていて、今となっては惜しまれる。

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同じ頃、米原機関区にいたEF58は、みなヒゲが磨き上げられてピカピカだったが、こちらのEF58は錆が目立っていた。(つづく)

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。