1981年8月27日(木) 国鉄・小浜線

1981(昭和56)年の8月、福井県の置県100年を記念して、国鉄の小浜線で蒸気機関車が運転されることが決まった。
 夏休みも終わろうとしていた頃、京都から近いこともあり、普通列車を乗り継いで、小浜線へ撮影に向かうことにした。

1981年8月27日(木) 小浜線のC56「わかさ」号)←太字をクリックすると記事に飛びます
1981年8月27日(木) 小浜線のC56「わかさ」号・その2)←太字をクリックすると記事に飛びます

京都駅から湘南色113系の快速→普通に乗って米原駅に到着した。

北陸線のホームには、当時は日本で最も編成両数が短い(=7両)特急だった「加越」が停車していた。

米原からはDE10けん引の旧型客車で編成された普通に乗る。
 けん引機は、田村駅で交流の電気機関車であるEF70に変わった。

敦賀駅からは、DE10けん引の旧型客車列車に乗車。
 小浜線は、背もたれにモケットが張ってない「板」のままの60系客車が多く、郵便荷物合造車のオハユニ61の姿も見られた。

単線なので、交換設備のある駅が多かった。
 今では1両編成の単行も行き交う小浜線だが、当時は普通列車でも少なくて5両とか6両だった。

当時はキハ28・58で編成された急行も走っていた。

上中駅では、多くの高校生が下車していた。
 京都とは異なり、この辺りでは、もう学校の授業が始まっているみたいだった。

小浜駅に到着し、下車。SL列車が停車していたこともあって、駅の構内は多くの人でにぎわっていた。

折り返して、三方駅へ移動。こちらも地元の人が多く駅を訪れていた。

今では、交換設備が撤去された駅も多く、小浜線を行き交う普通列車も1両とか2両ばかりになってしまっている。
 今とどれぐらい沿線人口に差があるのか分からないが、少なくともこの当時は、多くの人が鉄道を利用していたのは間違いない。その後、電化されて、この当時よりは確実に便利になったはずなのに、輸送人員は減る一方なのだから、なんとも皮肉なことではある。

鉄道関連ニュース

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注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。