1981(昭和56)年8月末の一週間、福井県の置県100年を記念して、小浜線でSL=蒸気機関車のけん引する列車「SLわかさ号」として運転された。夏休み期間中でもあり、京都から近いこともあったので、早速、普通列車を乗り継いで撮影に向かったのだった。(←クリックすると「1981年8月27日(木) 小浜線のC56わかさ号」の記事に飛びます)
この頃、国鉄では山口線で1979(昭和54)年から「SLやまぐち号」の定期運行が定期運行されていたが、その他の地域では営業路線を走るSLを見ることは出来なかった。しかし、この「SLわかさ号」のような、臨時列車は各地で運行されていた。
実は、このときが「営業運転するSL」を撮影するのが、自分にとって初めての経験だった。梅小路蒸気機関車館では、何度か展示運転をしているのを見た経験はあったが、普通の営業路線を走る姿を見たのは初めてだったのだ。
後ろの客車が青い12系座席車だったのが少し残念だった。この組み合わせは、後に滋賀県の湖北地方を季節運行した「SL北びわこ号」と同じだが、国鉄大阪鉄道管理局による梅小路機関区所属のC56-160号機+宮原運転所所属の12系客車という組み合わせの臨時SL列車は、当時は他にも全国各地へ「出張」していたのだった。
発車時刻が近付くと、急に黒煙を吐き始めた。
当時はエアコンの普及率が低かったので、窓の開く車両が当たり前だったが、エアコンを装備している12系客車でクーラーが効いているであろう状況であっても、窓を開け放っているお客さんが少なくなかった。
当時は、テールマークも何も無い12系の姿は、あまり撮影しようという意欲がわかない存在だった。でも、今となっては貴重なシーンではある。
SLの撮影を終えた後、敦賀駅に移動する。ここからは敦賀発、湖西線・近江今津行きの普通列車に乗るのだが、交直流セクションを通るため、電車ではなく、気動車が使われており、キハ28・58系の2両編成だった。
車内はガラガラ。当時、キハ28・58系は、まだ急行列車でも活躍していたが、キハ40・47系が投入されていない線区では、普通列車用としても広く使われていた。
敦賀駅で出発を待つ間、遠路はるばる青森からやって来た大阪行きの特急「白鳥」が追い抜いていった。
上記の写真は、全てASA(→ISO)感度25というリバーサルフィルム「コダクローム25」で撮影したものだ。ネガカラーと違い、しかもフィルム乳剤に発色成分を含んでいない「外式」のリバーサルカラーフィルムであるコダクロームは、当時でも変色に強いと言われていたが、40年以上が経過した今、その説が正しかったことを実感させられる。
特殊な現像システムが必要なコダクロームは、当時でも現像処理に時間が掛かっていたが、今ではフィルムも手に入らないどころか、日本だけではなく世界中でも現像すら出来なくなった。(注*カラーではなく、モノクロとしてなら現在も現像が可能)
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。