1995(平成7)年の4月中旬、京都から札幌行きの寝台特急「トワイライトエクスプレス」に乗って、北海道を旅した。
(「1995年4月10日 トワイライトエクスプレスに乗って北海道の旅・その1」のレポートはこちら←太字をクリックすると記事に飛びます)
京都では桜が散ってしまっていたが、北海道ではまだ雪がちらついている状況だった。日本は国土が狭いと習ったものだが、実際には南北に細長いので、季節感で言えば広く感じるのも事実ではある。
札幌から旭川へ向かい、最初に向かったのは深名線だった。この年、9月に廃止されることが決まっており、その日まで半年を切っていた。
(「1995年4月11日 北海道の旅・その2 深名線を訪問」のレポートはこちら←太字をクリックすると記事に飛びます)
深名線を訪れた後、今度は一気に南下して苫小牧へ向かった。ここから日高線の静内を訪れるためだった。
北海道では、この頃、国鉄時代から引き継いだ車両と、JRになってから新製された車両が入り交じって活躍していた。
日高線は乗客が少ないらしく、早くもワンマン運転が行われていた。6年ぶりに訪れた北海道だったが、あれだけ多く見られた朱色のキハ22の姿は消えており、代わりに真新しいキハ130の姿があった。
北海道でしか見られない711系も、まだ活躍中だったが、既に旧型化していたのも事実だった。中には3扉化されたものもあった。
代わりに721系の姿が増えていた。
特急用の車両も、見慣れたキハ183系ではなく、ステンレス車体がまぶしいキハ281系が登場していた。
振り子式の車体であるキハ281系に置き換わったことにより、スピードアップが果たされていたが、そうは言っても北海道は広いので、劇的に速くなる訳ではなかった。
日高線の静内の方へ行った時の様子は、残念ながらフィルム(ネガ)を紛失していて見ることができなかった。
この旅行では、帰りも寝台特急「トワイライトエクスプレス」を利用した。
デビュー当初はチケットが入手難だった同列車だったが、この頃には一部の豪華個室を除けば、比較的容易にチケットを手に入れることができた。
最後の夜行寝台特急列車である「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」を除くと、今ではケタ違いに高価な豪華列車でないと「寝台列車の旅」が楽しめなくなったのが残念だ。そういう意味では「トワイライトエクスプレス」は、普通のB寝台車も連結されていたし、ごく普通に「みどりの窓口」で切符が買えた。
「トワイライトエクスプレス」には食堂車の他に、ソファーでくつろぎながら車窓が楽しめる「ロビーカー」も連結されていた。
今、日本各地に新幹線が延伸し、速達性を競うようになっているが、そのためにのんびり楽しむ本来の旅の味がどんどん失われている気がする。
確かに速いのは、時間が有効に使えて良いことかもしれないが、一方では同じ「JR」というグループでありながら、もはや別々の会社だという意識が強くなっているのか「社」をまたぐ列車が年々、消えている。そして「効率性」の名の下に長距離を走る列車が次々と姿を消していき、のんびりとした旅を楽しめる環境が年々、無くなってきているのが残念だ。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。