2008年2月20日(水) 夜の京都駅

新幹線が東京と博多を直通することになった1975(昭和50)年の春を境に、当時の国鉄では毎年、ダイヤ改正が行われる度に、夜行列車は減少していった。
 そして、平成の時代に入って新幹線と高速道路網の拡大が進んだことで、その傾向はより顕著になった。

2008(平成20)年の春のダイヤ改正で、長年に渡り東京と大阪を結ぶ夜行列車としてビジネスマンにも愛された寝台急行「銀河」と、京都と熊本・長崎を結ぶ寝台特急「なは」+「あかつき」の廃止が決まった。
 3月中旬の運行最終日が近付くにつれて、その沿線にはカメラを手にした鉄道ファンの姿が増えていった。

2月のある夜、京都駅を訪れた。

既に急行列車は数えるほど前に減っていたが、夜の京都駅の電光掲示板には「きたぐに」と「銀河」の夜行急行列車の名称が並んでいた。

デジタルカメラの性能向上が著しく、高感度に強くなり、夜でもフラッシュ無しで撮影が可能な時代を迎えようとしていた。
 国鉄がJRになって登場した221系が、まだバリバリに活躍していた。

京都駅0番ホームに、東京行きの寝台急行「銀河」が入線してきた。
 その先頭には、真っ赤なEF65-1118号機の姿があった。

ジョイフルトレインけん引用の同機は、サイドに大きく「EF65」と描かれたグラフィックが特徴的だった。

発車の時刻を迎えると、音もなく静かに発車して行った。
 かつては発車時に必ず汽笛を鳴らしていたものだが、2000(平成12)年ごろを境に、汽笛を全く鳴らさなくなってしまった。

平成時代の初めごろまでは、京都市内北部にある自分の家でも、早朝深夜だと京都駅を発車する機関車の汽笛が聞こえていたものだった。

側面の行き先表示幕も、いつの間にか白ベースのものから黒ベースのものに変わっていた。

20系客車で運用されていた時代に始まり、14系、24系と車両が変わっても何度か乗った「銀河」だったが、決して利用客数が低迷していた訳でもないのに廃止になってしまうのが残念な気がした。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。