1995年7月28日(金) 富良野駅

1995(平成7)年の7月末、夏の北海道を訪れた。
 その頃、京都では連日、35度を超える猛暑が続いていた。それが、7月26日の夕方に京都から寝台特急「日本海」に乗って北海道の函館まで一気に移動して、さらに特急を乗り継いで札幌に着いた頃には、信じられないぐらいの涼しさになっていた。

札幌駅から特急「ライラック」に乗って、滝川駅へ移動する。

かつて石炭を満載した貨物列車で混み合ってただろう構内はがらんとしていて、駅のホームも閑散としていた。

急行「宗谷」が姿を見せた。先頭のキハ56は非冷房車だ。
 北海道では、真夏でも冷房が必要ないぐらい涼しいので、非冷房車も多かったが、さすがに特急では見かけず、急行でも珍しかった。

後ろに連なるグレー色の車両は、エンジンが換装されてハイパワーとなったキハ400系だが、元々は普通列車用のキハ40系を改造したもので、元から急行用として製造されたキハ56とは生い立ちが異なる。

ここからはキハ40系で編成された根室本線の普通列車に乗って、富良野へ移動する。
 ただ、根室本線と名前が付いているが、この区間では石勝線が開通してからは特急や急行が走るルートからは外れてしまった。しかも、途中にある赤平や芦別も、かつて炭鉱の町として賑わっていたのがウソのように過疎化が進んでいて、列車の利用者がかなり少なくなっていた。

富良野駅に到着。構内には寒冷地仕様のDD51が停車していた。
 後ろに見える客車は、引退した旧型客車の車体を利用して設けられた「ツーリングトレイン」で、北海道を旅する若者が安価で宿泊したりすることが出来るスペースになっていた。その後、車体のみが別の場所に移動されて保管されていたようだが、いつの間にか姿を消してしまったらしい。


バブルの頃にデビューしたリゾート列車の「フラノエクスプレス」が富良野駅に到着して、多くの乗客が降りて来ていた。

広い構内には見合わない、単行のキハ40がやって来た。

単行のキハ40には、「快速」の表示が出ていた。

入れ換え作業が始まり、単行だったキハ40の後ろに別のキハ40が増結されていた。

富良野駅のホームには、「ふらの北海へそ祭り」のオブジェが置かれていた。実は、この当日、7月28日と翌29日は、富良野で「ふらの北海へそ祭り」という、お腹を顔に見立てて絵を描いた人たちが町をパレードするという奇祭が行われる日だった。

根室本線の富良野-新得駅間は、2016(平成28)年10月に台風で大きな被害を受け、長らくバスによる代行輸送が続いていたが、ついに復旧が断念され、およそ2週間余り後の2024(令和6)年3月31日限りで廃止されることになっている。
 その結果、根室本線は分断されてしまうことになるが、過疎化が進み、利用者の減少が続く中、広大な北海道では鉄道の維持そのものが困難になってきているのは間違いない。かつて、北海道周遊券で道内各地を夜行列車を使って回っていたような貧乏旅は、もはや昔話になりつつある。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。