1978年11月23日(木・祝) 東海道線・神足-山崎間 その3

1978(昭和53)年11月23日は「勤労感謝の日」で祝日だった。
 この日、同級生2人と東海道線の神足(現・長岡京)-山崎駅間を撮影に訪れた。(その1のレポートはこちらその2のレポートはこちら←太字をクリックするとそれぞれの記事に飛びます)

いつも使っている母親から譲られたカメラ=フジカ35-Mはレンズシャッターが故障して修理に出しており、この日の撮影では使うことが出来ず、父親が持っていたハーフサイズのキヤノン・デミというカメラを使った。
 このカメラ、ピント合わせが目測という代物だった。露出計が付いているのは有り難かったが、使い慣れていたフジカの二重像合致式とは違うため、カメラを手にして日が浅かった当時小学生の自分には、ピント合わせの方法が良く分からなかった。

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この日は、通常の撮影もしていたが、鉄道雑誌で見かけた「流し撮り」に憧れていたので、その撮影の練習もしていたのだった。
 しかし、今のデジタルカメラとは違い、フィルムの時代なので、果たして流し撮りが成功しているのか否かは、撮影後に現像してみないことには結果が分からないのだった。

最初に撮っていたのは、貨物列車の先頭に立つEH10だったが、見事にブレていた。辛うじて、この機が下枠交差型のPS22パンタグラフを搭載していることが分かる。

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見飽きた存在の113系も、格好の練習素材になった。この当時は、まだ関西地区でもグリーン車が連結されていた。

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153系の「新快速」もブルーライナーと呼ばれ親しまれていた。この翌年に117系が登場したのだが、その117系ですら、もう今では「ウエストエクスプレス銀河」に改造されたものを除き姿を消してしまっている。

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新快速で運用されていた153系の先頭車は低窓が多かったが、高窓車もあり、中にはクハ165も混じっていたように思う。

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貨物列車は、黒いEH10の他は、EF65一般型とEF60が圧倒的に多く見られた。

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485系の特急「雷鳥」も、ボンネット型の先頭車が多かったが、グリーン車が2両連結されており、その隣には食堂車もあった。

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珍しい「ヒゲ無し」のクハ485も姿を見せていた。
 鉄道ファンからは当時「ヒゲ無し」と呼ばれていたが、その「ヒゲ」がある場所はヘッドライトの上なので、「まゆ(眉)」の方が正しいのでは、と子ども心に思ったものだった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。