自分が鉄道写真を撮り始めた1978(昭和53)年は、まだ京都市内を市電が走っていた。
そのため、この年の9月30日に市電が全廃になるまでは、京都駅などへ撮影に行く時、いつも始発の市電に乗っていたのだった。当時は小学生で子ども料金だったので、自分の記憶では、市電は50円で乗ることが出来て、国鉄の入場券も50円だった。従って、全部合わせても150円あれば撮影に出掛けられたので、少なくとも月に一・二度は京都駅へ行くことが出来た。
5月末の日曜日、この日はゆっくり目に家を出て京都駅を訪れた。日本で一番長いという京都駅1番ホーム(当時)の西端にある山陰1・2番ホームに行くと、山陰線の城崎方面へ向かうキハ82系の特急「あさしお」が出発を待っていた。
特急列車で、中間に運転台が組み込まれているのは、当時は珍しかった。国鉄のJNRマークもカッコ良く見えたが、まさか10年も経たぬうちに民営化されて、このマークも姿を消すことになろうとは、当時は予想もしていなかった。
「あさしお」の横を、北陸方面に向かう特急「雷鳥」が入線してきた。
向日町運転所所属の485系は、先頭車がボンネット型である率が極めて高く、この日も両端がボンネット型だった。
「あさしお」も「雷鳥」も出発して行くと、間に止まっていたキハ28・58系の4両編成がホームから見えるようになった。間にグリーン車を組み込んだ編成で、主に伊勢・志摩方面へ向かう急行「志摩」や「平安」などに使われていた。
この日は、快速で京都駅に到着後、ドア横にある種別札を裏返して「急行」に変える作業を行っていた。
東海道線下りの貨物列車がやって来た。その向こうには郵便車が止まっているのが見える。
103系の普通は、あまり撮影意欲の沸かない被写体だったが、「流し撮り」の練習で撮影していた。
最も大型の電気機関車だったEF66の姿も見られたが、性能をフルに発揮するであろう高速のコンテナ貨物列車だけでなく、当時は一般貨物もけん引していた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。