1987年6月 山陰線・吉富駅

1987(昭和62)年の春に国鉄が民営化されてJRに変わったが、組織や名称が変わったからといって、一気に何もかもが変化した訳ではなかった。
 京都から福知山方面へ向かう山陰線も、園部までの複線電化が決まってはいたが、保津峡辺りの新線建設区間を除き、この時点では目立った変化は見られなかった。

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園部駅の一つ手前にあるのが吉富駅(京都府八木町=当時、現・京都府南丹市)という小さな駅があった。駅と言うよりは停留所という感じのたたずまいで、ホームは1線1面しかなく、しかも短かった。
 ホームの長さは4両編成分ぐらいしかなかったため、それ以上の編成であることが多い客車列車は、後ろ側がホームをはみ出して停車していた。

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駅に到着する前に「後ろ○両分はホームをはみ出して乗り降りが出来ません。お降りの方は前の方へ…」と車内アナウンスされていたが、聞き逃して停車時に慌てふためく人がいたり、分かっていてあえて飛び降りる人がいたりもした。
 手動でドアを開ける(というかドアが開け放たれた状態の方が当たり前だった)旧型客車の時代はともかく、自動ドア化された50系客車であっても、ホームが無い部分でもそのままドアが開閉されていた(*↑写真参照)。今なら大問題だろうが、当時はなんとものどかな時代ではあった。

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駅の周辺に目立った人家はあまり見当たらず、乗降客は当時でも少なかった。当然、無人駅である。

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この頃、旧型客車は既に姿を消していたが、DD51が赤い50系客車や青い12系客車をけん引していた。

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中でも12系客車の方は、間違いなく冷房を搭載していたので、暑い時期に山陰線を利用する乗客には好評だった。

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時折、キハ181系の特急「あさしお」が勢い良く吉富駅を通過して行った。

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山陰線の京都口では、同じような駅である高津駅(京都府綾部市)と並んで、利用客の少ない吉富駅は、たとえ普通列車であっても時間帯によっては通過する列車があったりもしたが、この頃には大半の列車が停車するようになっていた。

この吉富駅は、複線電化を前にした1989(平成元)年3月に八木駅寄りへ200メートルほど移転し、すれ違いのための交換設備が設けられた後、複線化された。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。