1979年11月末 京福電鉄・出町柳駅付近

1978(昭和53)年9月30日に京都市電が全廃された後、自分の家の最も近くにある鉄道は京福電鉄(=当時、現・叡山電鉄)になった。
 従って、フィルムが余った時など、ふらっと自転車に乗って撮影に出掛けたことが何度となくあった。

1979(昭和54)年11月末のある日、その京福電鉄の出町柳駅近くへ足を運んだ。
 最初は踏切でカメラを構えていたのだが、たまたま通りがかったおじさんから「ウチの家から撮れるよ」と声を掛けられ、言われた場所へ連れて行ってもらった。当時も、知らないおじさんに付いて行ってはダメだと学校で教わっていたのだが。

すると、そのおじさんの家の敷地は、京福電鉄の線路のすぐ横にあり、フェンス越しの目の前を電車が通っていたのだった。

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目の前をデナ21型の2両編成が通過していく。出町柳駅に到着する直前の場所なので、スピードは出ていない。

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そこからは、出町柳駅が見通せた。

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八瀬遊園行きのデオ300単行が目の前を通過して行った。

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この頃は、デオ200の単行もよく見かけた。この3年前にポール集電は廃止になり、パンタグラフに変わっていたが、ポール集電時の名残りで、窓上にはポールの紐を巻き込まないようにする柵のようなものがあり、腰部にはポールの紐を巻き取る「レトリバー」の痕跡があった。

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今より乗客が少なかった時代だと思うのだが、ほぼ常時、3つあるホームが埋まっている状態だった。

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当時は最新型だったデオ600も、まだ単行運転がメインだった。こちらはポール集電を経験していないので、窓上の柵状のものや、レトリバーの痕跡は元から無かった。

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デナ21型は2両編成が多く、主に鞍馬まで運行されていた。

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デオ200は単行運転のみだったが、鞍馬へ行ったり、岩倉や二軒茶屋で折り返したり、八瀬遊園行きだったりで、最もバラエティに富んだ運行をされていた。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。