京都市電が全面廃止(=全廃)になったのは、1978(昭和53)年9月30日なので、もう45年の月日が経った。
近年、外国人観光客の大幅増加に伴う「オーバーツーリズム」の問題が京都市内でもクローズアップされるようになった。そのためか、市電の全廃から半世紀近く経とうとした今になって「市電は廃止すべきじゃなかった」「(外周部だけでも良いので)市電を残しておけば良かった」というような話が聞こえてくるようになった。
全廃の前や、全廃になった当時、多くの市電の車両が引き取られて行ったが、広島市の広島電鉄や愛媛県松山市の伊予鉄道へ行った車両などを除けば、既に現役で動いているものは殆ど無く、学校や幼稚園、遊園地や公園などで静態保存された車両も、その多くが朽ちて姿を消してしまっており、残っているものは年々減っているのが実情だ。
将来、「市電博物館」を作るとの方針で、京都市交通局が大切に庫内保管してきた数々の市電車両も、その後、梅小路公園に「市電ひろば」なるものが出来て屋外展示になってしまい、今では傷みが目立ち始めている。大宮交通公園に長らく展示してあった市電も、岡崎公園に移設されたりしたが、結局、京都市の財政悪化もあって管理が行き届かなくなり、無償で手放される結果となった。
市電が全廃になった当時、小学生だった自分も、もう定年退職が近付いてきていて、その年月の長さを実感せずにはおられない。記憶の中にある市電も、次第に遠ざかっている。
当時、自宅の最も近所を走っていた鉄道が、市電だったこともあり、どこかへ撮影に行って、フィルムが余っていた時など、片手間によく撮影していたものだった。
その頃の自分にとって、市電とは、そんなレベルの被写体ではあった。
でも、その写真の中にある風景は、今になってみると大変貴重なものになってしまっている。撮影していた時に、そんなことは考えもしなかったのだが。
洛北高校前の交差点で撮った1枚。左側へ伸びていた河原町線の跡が舗装化されたばかりらしく、うっすら線路跡が見てとれる。
当時、北大路通はアスファルト舗装されている所は少なく、大半がコンクリート舗装になっていて、一定の幅で継ぎ目があるため、クルマで通ると規則正しい衝撃と音に見舞われていたものだった。
洛北高校前の電車停留所(=電停)で撮影した1枚。左側に市バスと京都バスの停留所が見える。
市バスの停留所標識が「緑色の三角形」から「青い円形状」のものに変わったばかりで、これは今も見られる形状だ。
市バスの停留所と言えば、今では屋根があったり、イス(ベンチ)があったりするが、この当時は多くで標識が置いてあるのみで簡素な存在だった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。