1980(昭和55)年の夏休み、上越線を走るEF16や181系特急「とき」の撮影のため、大垣発東京行きの夜行の鈍行列車に乗り、東京の方へ向かった。
これが自分にとっては、初めての関東方面への撮影旅行だった。←太字をクリックすると「1980年8月18日(月) 初めての上野駅」の記事に飛びます
朝食を摂ろうと立ち寄った「立ち食いそば」の店で、真っ黒なダシに驚かされた上野駅だったが、当時は東北・上越新幹線の開業前であり、驚くほど多くの特急・急行列車が発着していた。
当時は急行列車も多く、しかも夜行で運行されているものがけっこうあった。東北方面からは「津軽」や「八甲田」、「おが」に「十和田」があった。
上野と青森を結んでいた寝台特急「ゆうづる」も関西の「明星」と同じぐらいの本数が運行されており、同じようにブルートレインと583系が混用されていた。
EF80けん引の「ゆうづる」が並んでいたが、この当時はまだヘッドマークが復活しておらず、鉄道ファンにとっては不遇の時代ではあった。
行き止まり式の上野駅ホームに到着した客車列車は、推進運転で尾久運転所に回送されるのが常だった。
まだ20系が使われていた寝台特急「あけぼの」も、推進運転に備えてなのか、貫通路が開け放たれていた。
485系の特急も、「ひばり」を筆頭に「やまびこ」「やまばと」「あいづ」「つばさ」「ひたち」などで活躍していた。
SLブームに始まり、1970年代の半ばにはブルートレインがブームになり、小さなカメラを持った少年たちが駅のホームを走り回っていた時代だった。まあ、自分もそのうちの一人だった訳だが。
そのため、大きな駅のホームには写真のような看板がよく見かけられた。
EF58けん引の夜行列車に、上越線の165系急行、そして485系の特急「ひばり」が並ぶ。
今となっては、昔、なつかしい国鉄時代の最後の黄金期だったようにも思える。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。