1984(昭和59)年の春休みは、京都駅から夜行の普通寝台列車「山陰」に乗り、山口県と北九州の小倉・門司辺りを巡る撮影旅行に出掛けた。切符は、「山口・秋芳洞ミニ周遊券」を使い、下関から小倉・門司方面へは現地で新たに切符を購入した。
京都から出雲市まで夜行の普通「山陰」にお世話になり、その後、急行「さんべ」と普通客車列車を乗り継いで下関に着いた。その後、山陽線の小野田駅から小野田線に乗り、雀田駅に立ち寄る。
ここに、雀田-長門本山間の支線で運行されているクモハ42の姿があった。昼間は運行が無いので、パンタグラフを下ろして休んでいた。写真を撮っていると、国鉄職員の駅員さんから「線路に下りて撮ってもいいよ」と言われた。今では考えられないが、なんとものどかな時代ではあった。
当時、クモハ42は確か3両が在籍していたが、この日はそのうちのクモハ42006が任務に当たっていた。
前回に訪れた時(その1、その2←クリックすると記事に飛びます)は、小野田線も宇部線も旧型国電の天下だったが、このときには、この本山支線のみ、単行のクモハ42が見られるだけになっていた。
その小野田線と宇部線は、旧型国電に代わってオレンジ色の105系が活躍していた。
小野田線と宇部線の乗換駅である宇部新川駅に到着。
セメント工場が沿線に多い土地だけあって、貨物列車の姿もよく見られた。
105系は京都の奈良線でも、その姿を見ることが出来たが、見た目は同じように見えても、奈良線は103系からの改造車ばかりだったのに比べて、こちらはほぼ全てが新造車両だった。
宇部新川から宇部に出て、山陽線に乗って厚狭駅へ移動するが、やって来たのはサイドビューは関西地区の117系新快速にそっくりながら、先頭車は113系や115系の顔をしているという、115系3000番台だった。
厚狭駅に立ち寄ったのは、ここの駅近くに、20系ブルートレインの食堂車・ナシ20が何両も放置してあるのを知り、それを見に行くためだった。
駅から歩いて行った所の広場に、ナシ20が確か6両、放置してあった。車体の塗装は傷んでおり、サビがあちこちに浮いていて、ここに放置されている時間の長さを感じさせた。
窓ガラスが割れていたり、貫通路の幌も破れていて、車内は荒れ放題になっているのも見えた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。