1980(昭和55)年の暮れ、帰省先の岡山から京都へ戻る家族と別れ、一人で山陽線を逆の西方向に向かい、広島を経て山口方面に足を延ばした。
その目的は、宇部線と小野田線を走る旧型国電を撮影することだった。
岡山から鈍行を乗り継ぎ、小郡(現・新山口)駅に着いた時には、まだ明るかったが、宇部線の旧型国電に乗り換えて宇部新川駅に着くまでに、真冬ということもあって、すっかり日が暮れて真っ暗になってしまっていた。
宇部線を走るぶどう色(茶色)に黄色の警戒色が塗られた旧型国電は、半流(線)型のクモハ51(又は41)とクハ55(又は68)が多かった。
この日は冷え込みが厳しく、雪も降っていた。瀬戸内海に面して温暖だと思い込んでいたが、うっすらと雪も積もっていた。後で調べたら、この日は氷点下4度という厳しい冷え込みの夜だった。
小野田線に乗り換えると、今度は平妻型の旧型国電だったが、どちらかと言えば、こちらの数は少ないようだった。
ここでカラーフィルムからモノクロに詰め替えた。車内は、真ん中にスタンションポールが目立つが、基本的に113系といった新型国電と同じ、クロスシートとロングシートが組み合わさった近郊型スタイルだった。
2両編成×2の4両編成が多かったが、運転席のある車両同士の連結面では、貫通路は使用されてなかった。
支線である雀田-長門本山間を走るクモハ42単行に乗った後、小野田駅で山陽線に乗り換える。
小郡行きを待っていたら、なんと九州から乗り入れてきた411系が入線してきたので驚かされた。当時は当然、JRではなく国鉄だったこともあり、こうして九州から乗り入れている列車が特急や急行だけでなく、普通列車でも何本もあったようだ。
ここからは、座席の夜行列車である、名古屋行きの特急「金星52号」に乗る予定だったが、それをホームで待つ間、次々と東京や大阪方面行きの夜行列車が通って行った。ホームの屋根の無い所には雪が積もっていたが、屋根のある所も水で濡れていて、それがみるみる凍る様子が見えていた。
デビュー間もない14系15型の寝台特急「あかつき」が出発していく。
寝台特急「明星」は、当時、ブルートレインと583系の両方があったが、他にも寝台特急「彗星」が同じパターンだった。
一方で、寝台特急「あかつき」はブルートレインのみ、寝台特急「なは」は583系のみだったが、他にも年末年始やお盆には臨時で20系ブルートレインも走っていたし、さらには14系座席車を使った臨時特急だけでなく、定期列車の急行もあったので、今からは考えられないほど夜行列車が数多く走っていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。