1984(昭和59)年の春休みは、山陰線横断(縦断?)から北九州への旅行だった。
初日は今日から夜行の鈍行列車「山陰」に乗り、出雲市で乗り換えて、下関まで行き、2日掛かりで山陰線の全線を踏破した。
その後、門司港駅へ立ち寄ったりして小倉駅で一泊し、帰りは新大阪行きの寝台特急「彗星」に乗る予定で、夜の門司駅に到着した。

門司駅には、関門トンネル用の専用機関車であるEF30を先頭にした荷物列車が出発を待っていた。銀色のステンレス製の車体が眩しかった。

関門トンネルを行き交う機関車は、当時は銀色のステンレス車体をしていたEF30とEF81-300番台に限られていた。後者のEF81-300番台は、当時、門司機関区には303、304号機の2両しかなく、301、302号機はローズピンク色に塗られて常磐線に転出していた。が、この翌年の1985年に門司機関区に戻っている。
当時、東京機関区を除き、姿を消していたブルートレインのヘッドマークが九州地区だけ復活していた。が、九州地区のヘッドマークは、日本国内の他の地域のヘッドマークとは取付台座が異なっており、関門間を走るEF30とEF81-300にはヘッドーマークが無かった。(その後、九州地区用の台座が取り付けられた)

ヘッドマークの数が足りないのか、臨時列車を中心に取り付けがされてない列車もあった。

続いて、筑豊線経由の寝台特急「あかつき」が、こちらはDD51けん引で門司駅に姿を現した。
隣のホームにも同じ寝台特急「あかつき」が入線。けん引してきたED76が単機回送されて行く。隣の「あかつき」は既に先頭の機関車がEF81-300に変わっている。

これから乗車する寝台特急「彗星」が門司駅に到着した。機関車交換のため、しばらく停車する。

機関車の後部では、客車との切り離し作業の準備が行われていたが、その真横を、先ほど筑豊線経由で「あかつき」をけん引してきたDD51が単機で回送されていった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。