1980(昭和55)年の2月11日「建国記念の日」は、日曜日に続いて連休になる祝日だった。その日、珍しく父が神戸市の須磨まで海釣りに連れて行ってくれた。
海釣りの経験が初めてで、狙いのカレイが全く釣れなかった自分は飽きてしまい、途中で釣りを止めて、真横を通る山陽線の列車の撮影を楽しんでいた。(その様子は、その1、その2⬅クリックすると、それぞれ記事に飛びます)

九州から大阪方面に向かう寝台特急の中で、「彗星」と「明星」はブルートレインに加えて電車寝台の583系が活躍していた。

ブルートレインの方は、ちょうどけん引機がEF58から真新しいEF65PFへの置き換えが進められている時だった。
当時は、人気のあったEF58を駆逐する存在として、憎い存在にも感じられたEF65PFだったが、今では次々と姿を消しており、時の流れを感じずにはおれない。
新快速は、153系ブルーライナーが最後の活躍を見せていた。

同じ新快速には、デビューしたばかりの117系も走り始めていた。

普通電車は、スカイブルーの103系ばかりだったが、この頃はまだ非冷房車が走っていた。

特急「はまかぜ」は、キハ82系が山陽線の区間では全開走行していた。山岳路線では非力さが目立ったが、平坦な山陽線では、けっこうなスピードで走っているように見えた。

本来は高速貨物用であるはずのEF66が、2軸貨車を連ねた一般貨物を引っ張っていた。いかにも力を持て余している感じがしたが、1984(昭和59)年2月に貨物ヤードが廃止になり、2軸貨車を連ねた一般貨物列車が姿を消して、コンテナ車の高速貨物ばかりになると、ようやく本領発揮となって、貨物列車けん引の中心となっていった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。