1983年1月 東海道線・京都-山科間

時代とともに「常識」というものは変わっていく。その「常識」は、「価値観」や「ルール」などといった言葉にも置き換えられるが、今は当たり前と思っていることでも、10年、20年先まで同じように当たり前であるとは限らない、ということで、それは長く生きていると実感することになる。

自分の場合を振り返ってみても、30年、40年前の経験というのは、今では「考えられないこと」ということがいくつもあった。例えば、営業運転中の急行列車で走行中に運転士から運転台に招き入れられたり、機関区に入っての撮影が普通に許可されたり…そういった経験は、まさに今では考えられないことではある。

1983(昭和58)年1月のこと、自転車で山科の方へ出掛け、帰りに東海道線・東山トンネルの東口(京都市山科区花山)前を通りがかった際、線路近くまで行って、柵越しに通過する列車を眺めに行った。すると、たまたま近くに保線作業をしている作業員が何人かいて、そのうちの1人から「ボン、何見てるんや?」と声を掛けられた。通過する列車を見てると言うと、驚くことに「そこ(=線路近くにある保線小屋に至る道に通じる扉)開けて入って来いや。よー見えるぞ」と言われた。

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敷地の中に入れてもらうと、すぐにEF81けん引の貨物列車がやって来た。
 30代に見えた保線作業員の方は、父親が以前にこの山科の大築堤で、よくSL=蒸気機関車の写真を撮っていたという話をされた。

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冬の夕暮れは早い。持っていたカメラで撮影しようとしたが、詰めてあったISO感度100のフィルムでは、もはや速いシャッタースピードが切れなくなっていた。

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今では昼間でもヘッドライトを点灯しているのが当たり前になっているが、少し前(といっても10年以上経っている?)までは、昼間にヘッドライトを点灯しているのは当たり前ではなかった。
 日が暮れて、貨物列車の先頭に立っていたEF65も、ヘッドライトを点灯させ始めていた。

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話し込んでいるうちに、1/15のスローシャッターしか切れなくなり、必然的に流し撮りしか出来なくなった。

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内側線を湘南色の113系が通過するが、少し遅れて485系特急「雷鳥」が並走しながら追い抜いていった。

こうして、普段は入れない場所での、短い撮影時間は終了したが、今となっては、有り得ない出来事ではあった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。