1985年7月 阪急・嵐山線の2800系と甲陽線の2000系

東京五輪のあった1964(昭和39)年、阪急京都線に特急専用車2800系がデビューした。阪急マルーンと呼ばれる赤みがかった濃茶色の車体には、前後二つの扉が設けられ、その間に大きな窓が連なる車体が特徴だった。
 だが、1976(昭和51)年に後継車として6300系が登場すると、その優美な車体の真ん中には、無残にも三つ目の扉が開けられて、一般車と同様の車体に改造されてしまった。

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阪神タイガースが首位を快進撃していた1985(昭和60)年の夏休み、その2800系を撮りに阪急嵐山線を訪れた。

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嵐山線を走る元特急車の2800系は、4両編成になっており、3扉化と同時に車内は一般的な他の車両と同じロングシートになってしまっていた。
 この2800系は、嵐山線で1995(平成7)年まで走り続けた。不思議なことに、その後継の6300系特急専用車もまた、3扉化は免れたものの車内が改造されて、今では同じく4両編成化された上で同じ嵐山線を走っている。

一方で、阪急神戸線の方にある支線では、この頃は基本的に本線と同じ車両が使われていた。

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夙川と甲陽園を結ぶ甲陽線では、神戸本線を走ってるのと同じ2000系が使われていた。

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甲陽園駅に2本あるホームのうち、1本はラッシュ時を除いて使われていなかったが、そこに止められたままの車両には、誤乗を防ぐためか、見慣れない「留置車」という看板が掲げられていた。
 この甲陽園駅も、2008(平成20)年に起きた脱線事故を契機にホーム拡幅のため、2010(平成22)年には線路が1本となったため、この光景は見られなくなった。

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夙川駅は、その名の通り、夙川という川の上に架かる「橋上駅」になっていた。
 甲陽線は、かつて沿線に夙川学院の中学・高校・短大があり、多くの通学生が利用していたが、その後、その学校が全て移転してしまった。

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今では方向幕が当たり前になった阪急も、当時はホーローの行先看板を掲げて走っている車両が数多くあった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

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