1984年2月19日(日) 竜華機関区・その2

かつて大阪にあった竜華(龍華)機関区は、国鉄時代の末期に機関区が無くなるまで、いつ訪問しても自由に「見学」の名の下に撮影が可能だった。同じような機関区は、ほかに関西では米原機関区もそうだった。静岡の浜松機関区は、事前に予約が必要だった。

1984(昭和59)年の2月、その竜華機関区を訪れた。(その1はこちら⬅クリックすると記事に飛びます)

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その往路、天王寺駅の関西線ホームでは、黄色の警戒帯を巻いたウグイス色の103系(左)と101系が並んでいた。

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関西線の快速は、白に赤い帯を巻いた113系だったが、真ん中の留置線には、珍しい配給電車のクモル145+クル144が止まっていた。

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旧型国電を改造した配給車を置き換えるべく、101系を改造してデビューした同車だったが、つい先日まで車籍があったから、この写真の撮影時から40年近く生きながらえたことになる。

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ようやく辿り着いた竜華機関区の構内には、この日はEF15とED60ばかりが止まっていて、EF58の姿がほとんど見当たらなかった。

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扇形庫にはEF15-184号機が置いてあった。通常、架線の無い、この場所に置いてあるのは廃車前提の車両が多かったが、このEF15-184号機は先台車の車輪が錆びておらず、つい最近まで動いていたようだった。

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検修庫には、EF58の姿があった。全検から出場したばかりなのか、ピカピカの42号機の姿があった。ちなみに、この42号機は、今も前頭部のみ保存されているようだ。

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帰り道は奈良経由で。この日に乗った奈良線は、電化工事が進んでいる最中で、キハ35系気動車が最後の活躍を見せていた。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。