バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発で阪神タイガースが25年ぶりに優勝、そして日本一になったのが1985(昭和60)年のことだった。
その翌年、1986(昭和61)年の春にワイド周遊券を手に九州方面を回った。阪神タイガースが日本一になった年の翌年ということで、奇しくも今年と同じではある。
1986年3月18日(火)~21日(金) 九州方面のブルートレイン←太字をクリックすると記事に飛びます
当時の自分は、基本的にブルートレインや特急をメインに撮影していた。
とはいえ、旅行=乗り鉄でもあった訳で、遠征先では色々な車両たちに出会った。何せ、まだ民営化される前の国鉄時代のこと、各地には本当に様々な車両が走っていたのだった。
北九州の方では、見飽きるほど415系の姿を見ることが出来た。一部は関門トンネルを通って本州まで乗り入れていた。
当時、国鉄は各地で近郊電車に愛称を付けるようになっていたが、この辺りでは「マイタウン電車」と銘打ってヘッドマークが取り付けられていた。
南九州の方へ行くと、急行形の475系が普通列車でも使われていた。この感じは、北陸方面で見るものと全く同じだった。
これが西九州の方へ行くと、475系を改造した713系の姿が見られた。足回りなどは流用したので古いが、車体の方はまだ新しく、ピカピカだった。
しかし、当時の国鉄は財政が悪化しており、713系の増備は見送られた。
代わりに登場したのが、余剰となっていた特急用の寝台電車583系を「魔改造」した715系だった。
貫通路には特急のシンボルマークの痕跡があったり、車内にもそこかしこに名残があった。
長崎・佐世保方面へ向かう列車は、肥前山口で分割されたりしていた。短編成化に伴って、運転台付きの車両が不足するため、中間車を無理矢理に改造した感のある先頭車(クハ715-100番台)もあった。
自分の地元である関西地区では、普通列車の多くは「行先」を先頭車に表示していたが、他地区、特に地方では「普通」となっているケースが多く見受けられ、九州地区もそうだった。
豊肥本線を走るキハ20単行には「ふれあい号」と書かれたヘッドマークが付いていた。「本線」と名が付くのに、1両編成の単行が走っているのが、どこか不思議な感じがした。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。