2011年7月8日(金)~9日(土) 寝台特急「日本海」最後の乗車 その2

大阪や京都といった関西地区と東北地方の秋田~青森、さらには函館とを日本海縦貫線経由で結んでいた寝台特急「日本海」が廃止されて、もう11年あまりの月日が経った。
 かれこれ20回近く利用したことがある自分だが、もはや乗車した日々は記憶の中で遠ざかり始めている。

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寝台特急「日本海」は夜行列車の中では比較的乗車率も良く、廃止する必要性は無かったと今でも思っている。
 折しも少子化に伴う人口減少、さらにはバスやトラックの運転手不足が問題になっている今、鉄道輸送を見直す絶好の機会が訪れていると思えるのだが、あまり議論されてない気がする。

振り返ってみれば、2011(平成23)年7月8日~9日にかけて、その寝台特急「日本海」の上り大阪行きに乗車したのが、ブルートレイン=寝台特急を利用した最後の機会になってしまった。

その日、青森駅に入場すると、見慣れない列車が停車していた。2006(平成18)年に運行を開始した「リゾートしらかみ」のくまげら編成で、今も健在らしい。

789系の特急「スーパー白鳥」が姿を見せた。
 前に青森駅に来た時に見た、青函連絡の青い50系客車とED79は既に姿を消していた。2002(平成14)年に東北新幹線が新青森駅に延伸した際、青函連絡は特急のみの運行に変わり、そこで登場したのが789系の特急「スーパー白鳥」だったが、「白鳥」と言えば、かつて青森と関西を結ぶ特急の名前だったこともあり、どこか懐かしい気がした。

だが、かつての「白鳥」は12~13両編成の堂々とした長編成のイメージがある自分から見ると、愛称名に「スーパー」が付いたとはいえ、6~8両編成の短さは、どこか寂しさを覚えた。

JR北海道のデザインだが、函館本線の函館から札幌までは電化されてないので、この編成のままで札幌までは行くことができないのだった。

かつて青函連絡船と接続し、長い編成の特急が発着していた名残りの長いホームは健在だったが、もはや実力を発揮するような長い編成の列車は殆ど姿を消してしまっていた。

DE10にけん引されて、大阪行きの寝台特急「日本海」が入線してきた。

先頭にはローズピンクのEF81が前後にヘッドマークを付けて連結されていた。

白帯の24系24形がその後ろに連なっていたが、一部は25形であり、銀帯と混じっていて、編成の美しさという面ではちぐはぐな感じがした。

個室では無い、開放式のA寝台車が健在だった。

食堂車が連結されておらず、夜は車内販売も無いので、青森駅のホームで駅弁などを購入した上で乗り込んだ。

翌朝、敦賀駅では機関車の交換があった。

これまで引っ張っていたローズピンクから、トワイライトエクスプレス色のEF81に変わった。

青いブルートレインに、緑と黄色のトワイライト色の機関車は似合うとは言えないかもしれなかったが、何だか特別感はあった。
 この機関車を付け替える作業の間に、後続の特急「サンダーバード」が追い抜いていった。

京都駅に到着。隣のホームにはオリジナルな新快速色の117系が停車していた。
 その117系も姿を消したが、ここ数年で急速に国鉄時代から引き継がれた車両が次々と姿を消している。

ダイヤ改正の度に長距離列車も減っており、普通列車は短区間・短編成が当たり前になってきている。
 今は、新幹線で速く目的地に着くのが良いと考える人が多いのかもしれないが、時間を気にせず、のんびりと地方を周遊するような旅の良さも、もっと評価されて良いと思う。

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