「叡山電鉄のデナ21形・その1 1987年」(←太字をクリックすると記事に飛びます)からのつづき
二ノ瀬駅では、必ずと言って良いほど上り・下り電車の交換(すれ違い)がある。それは今も昔も変わらない。
二ノ瀬駅から貴船口駅、鞍馬駅へと続く線路は、完全に登山鉄道の風合いで、鉄道としては厳しい上り勾配が続くのだが、そこを戦前の昭和初期に製造されたデナ21は涼しい顔で走っているように見えた。
貴船口駅は、半ば鉄橋の上に設けてあり、しかもカーブしている。
向かい側には鞍馬小学校があるが、その光景は今も変わらない。
辺りは川の流れの水音以外は静穏で、電車が来ると吊り掛けモーター独特の音が谷間に響き渡っていた。
鞍馬の集落に入ると、やや平坦になり、線路沿いには畑もあった。
デナ21の車内は、電気は白熱灯で、随所に木目があって、私鉄の中では清潔さで知られる阪急電車の車内にも劣らず風情が感じられた。
京都市中心部からは、一応バスでも来ることが出来た鞍馬駅だが、叡山電車を利用する人の方が圧倒的に多かった。それは今も変わらないだろう。
昔ながらの駅舎だが、出町柳駅と同じく、ここには駅員が常駐していた。
しかし、この当時はまだ自動券売機が設置されておらず、窓口で切符を買うようになっていた。
駅舎は今も変わらないが、訪れる観光客の数は当時に比べて今は大幅に増えているし、外国人の姿も目立つようになった。
そういう意味では、当時はまだいかにもローカルな感じで、紅葉の時期でも今ほど混むことはなかった。ただ、10月22日の夜にある「鞍馬の火祭」の日だけは、今と変わらぬ混雑ぶりだった。
今、この駅舎の横に、その後に廃車されたデナ21の前頭部のみがカットボディとなって保存展示されている。
だが、長年の屋外展示で近年は雨漏りが酷くなっていた。そこで、最近になってクラウドファンディングで資金を募ったところ、目標の金額が集まり、修理されることとなったようだ。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。