1988(昭和63)年の春は、瀬戸大橋が開業した。それに伴い、JRの線路も備讃線→瀬戸大橋線として本州と四国が結ばれることになった。
瀬戸大橋の開業は4月10日だったが、JR瀬戸大橋線は3月20日に茶屋町-児島間が暫定開業していた。そんな短い暫定開業時に、ちょうど母方の実家がある児島(岡山県倉敷市)を訪れたのだった。(その1はこちら←太字をクリックすると記事に飛びます)
児島駅から茶屋町駅を経由して宇野駅に移動。ここから、間もなく姿を消す宇高連絡船に乗ることにしていた。
宇高連絡船には、いわゆる一般的な連絡船の他に、ホバークラフトも就航していた。こちらは半分の時間で移動することが出来たが、代わりに別で「急行料金」が必要だった。
ところが、他にも急行運用している船があった。ホバークラフトよりは遅いと思うのだが、料金は同じだったのだろうか。
国鉄のJNRマークの「N」の部分を塗りつぶして、JRマークもどきにしている船もあった。
貨車を積み込んで「航送」する一般的な連絡船も、もちろんあったが、宇高連絡船では、貨車を積まない船もけっこうあった。
この時点で青函連絡船は姿を消していたので、貨車を積み込んで航送する連絡船は、この宇高連絡船を残すのみになっていたが、それも間もなく姿を消そうとしていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。