1988年4月5日(火) 瀬戸大橋線~宇野線・その1

1988(昭和63)年の春は、瀬戸大橋が開業した。それに伴い、JRの線路も備讃線→瀬戸大橋線として本州と四国が結ばれることになった。
 瀬戸大橋の開業は4月10日だったが、JR瀬戸大橋線は3月20日に茶屋町-児島間が暫定開業していた。そんな短い暫定開業時に、ちょうど母方の実家がある児島(岡山県倉敷市)を訪れたのだった。

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児島駅に、EF65-1139号機を先頭にした試乗列車がやって来た。JR西日本の12系客車で編成されていたが、機関車の方はJR貨物所属だったので貸し出しだったのだろうか。ヘッドマークには「JR貨物」と入っているので、逆に客車の方を借りていたのかもしれない。

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JR四国のキハ28・58系で編成された試乗列車も姿を見せた。

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暫定開業中の児島と茶屋町の間は、主に115系の4両か6両編成が担当していた。

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その115系にはヘッドマークだけではなく、車体にも瀬戸大橋博・岡山(児島)会場を宣伝するステッカーが貼られていた。

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その車内には、瀬戸大橋線の開業に伴う広告であふれていた。

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先ほどの客車列車が折り返してきた。この客車列車は折り返し駅での機回しを省略するためか、プッシュプルで編成されていて、反対側の先頭はEF65-1138だった。

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高架化された新しい茶屋町駅には、JR四国の気動車編成が折り返しを待っていた。

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宇野駅へは真新しい213系で移動。宇野駅構内には、折り返しを待つ25系ブルートレインの寝台特急「瀬戸」が留置されていた。が、こちらも瀬戸大橋線が開業すると高松行きになり、宇野駅で姿を見られるのも、残り一週間を切っていた。

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宇野駅では、単行運転を想定してクモニ83を魔改造したクモハ84型の姿も見られた。今は長い編成の電車や列車が行き交う宇野駅にも、あと5日すると、一気に支線のようなローカル線に転落するのかと思うと、どこか複雑な気分になった。

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広い宇野駅構内からは、宇高連絡船の姿も見られた。こちらも間もなく姿を消す訳で、本州-四国間の乗客がごっそり宇野駅を通らなくなるので、きっと経済的な影響も大きいだろうなと思った。

その宇野駅、自分が3歳だった時に訪れたことをはっきりと記憶している。窓から宇高連絡船が見えたのを覚えているので、間違いなく、この写真のホームだったのだろう。
 この時は、ここから153系の準急「鷲羽」に乗り、大阪の方へ向かったのだった。そして、出発を待つ車内から窓越しに、ホームにいた駅弁売りのおじさんから駅弁とお茶、ジュースを自分の父親が購入したシーンを覚えている。購入した瓶入りのジュースは、窓の下にあった小さなテーブルに付いていた「栓抜き」を利用していた。

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京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

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