1987(昭和62)年5月末、京都市内を流れる鴨川の左岸沿いを走っていた京阪電鉄が、地下線に切り替わることとなった。
線路の切り替えは、5月23日の深夜から翌朝の未明にかけて行われることになっていた。
地上にある七条駅は、最後の夜を迎えていた。
鴨川の堤防上にある駅も、見納めの時を迎えようとしていた。
最終電車の通る時刻が着々と迫っていた。しかし、そこを走る電車は、いつもと変わりない日常の様子だった。
地上線と地下線を切り替える場所には、見物に来ていた人も少なくなかった。
周辺には大きなクレーン車など重機が並び、各種エンジンや発電機の音が響き渡っていた。
見たことがないぐらい、多くの作業員の人の姿がそこにはあった。
塩小路通の踏切を、最終電車が通過して行った。もう、この後、ここを通る電車は無い。
このとき、カメラに詰めていた感度64のリバーサルフィルムでは、フラッシュ撮影であっても、ほぼ真っ暗に近くしか写らなかった。しかも、現場では作業の様子を撮影する際はフラッシュを使わないようにと言われていたので、この後は撮影せずに見物していたことを覚えている。
しかし、朝方までかかる作業の全てを見物するほどの気力は無く、早々に退散したのだった。
ちなみに京阪が地下に変わってから間もなくの頃(7月15日)、梅雨の大雨で増水した水が京阪の地下線内に流れ込んで浸水、ホームの上にまで水位が上がるという水害があった。
当時、新聞紙面で見た写真に、ホームの上に魚の姿があったのを覚えている。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。