1979年4月初旬 博物館明治村を訪問

30年、40年の月日が過ぎても、当時に撮影した写真を眺めていると思い出すことが多いが、50代半ばの年齢になった今、中には全く覚えていないものもある。

1979(昭和54)年の春休み、家族旅行で岐阜県の博物館明治村を訪れた。

IMG_20230615_0044

まだ国鉄山口線にSL=蒸気機関車が復活していなかった当時、日本国内では数少ない営業運転するSLの姿が見られる場所の一つだったのが、ここ明治村だった。

IMG_20230615_0045

1974(昭和49)年に復活運転が始まった、明治生まれのSLが元気に客車をけん引していた。

IMG_20230615_0047

構内には、もう1両、SLが休んでいた。

IMG_20230615_0048
IMG_20230615_0046

明治村には、他にもSLや蒸気動車が展示されていた。このうち、蒸気動車であるキハ6401は、2009(平成21)年12月に運び出され、修復の後、現在は2011(平成23)年に開館した愛知県名古屋市のJR東海「リニア・鉄道館」で展示されている。

こうして、明治村へ行ったのは覚えているのだが、どうやって行って、帰ったのかがほとんど思い出せない。

IMG_20230615_0042

名鉄の写真があったので、どうやら名鉄を利用したらしい。
 流線型の電車で有名だった、名鉄3400系と出会ったようだ。この3400系、通常の運用終了後も動態保存され、2002(平成14)年まで現役だったという。

IMG_20230615_0043

当時の自分にとって、名鉄と言えば間違いなく「パノラマカー」がその代名詞だった。

IMG_20230615_0041

国鉄の岐阜駅(?)に行くと、快速で運用されていた大垣電車区の153系に、修学旅行用電車カラーの159系が混じっていた。

IMG_20230615_0039

帰り道は、名古屋と大阪を結んでいた急行「比叡」を利用したようだ。

IMG_20230615_0038

当時、急行「比叡」は朝夕2本が運行されていた。既にヘッドマークは消えていたが、かつての東海道線の急行「黄金時代」を思い起こさせる編成ではあった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。