1988(昭和63)年の春は、青函トンネルと瀬戸大橋が開業するという、日本の鉄道史では大きな出来事が連続してあった時でもあった。
自分の母方の実家がある倉敷市児島は、その瀬戸大橋へつながる「本四備讃線」のルートになっており、親類の家々が線路建設に伴う立ち退き対象になったりもしていた。が、近くに児島駅が開業することになり、それまで岡山駅からバスに揺られて1時間以上も掛かっていたものが、岡山駅での乗り換えだけで行けるようになった。

岡山駅から宇野線経由、児島行きに乗り込む。

車両は、湘南色の115系だったが、非冷房車だった。

児島駅に着くと、ホームの上から観覧車やアドバルーンが見えた。瀬戸大橋開業に合わせて、駅前で「瀬戸大橋架橋記念博覧会(瀬戸大橋博88)」が開かれているからだった。
瀬戸大橋の開業は4月10日だったが、それまでの間、試運転や試乗列車が数多く運転されていた。

四国のキハ28・58系で編成された試運転列車と出会った。

暫定開業中なので、児島駅で折り返す列車が、渡り線を使って入れ換え作業を行っていた。

115系には、「瀬戸大橋博88岡山」と書かれたヘッドマークが付いていた。

かつて茶屋町駅から児島まで、762mmの線路幅であるナローゲージの下津井電鉄の路線があったが、1972(昭和47)年に廃止されていた。その当時から本四連絡の鉄道構想はあったのだろうが、16年後に国鉄→JRの線路で再びつながったことになる。

児島駅の東側にあたる地域には、かつて塩田の砂浜が広がっていたのだが、1978(昭和53)年ごろに姿を消し、埋め立てられ、広大な土地と道路が出来ていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。