1988年5月31日(火) 小海線・清里駅

1988(昭和63)年5月末、当時通っていた大学のゼミの研修旅行で長野県方面を訪れた。

その道中、小海線の清里駅(山梨県高根町=現・北杜市)に立ち寄った。

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バブル景気の真っ只中にあった当時、清里駅前はリゾートブームもあって、メルヘンチックな土産物店や飲食店が建ち並び、多くの若者で賑わっていた。

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休憩で短い滞在時間だったが、研修旅行で同行していた級友たちは、そんな店舗街の方へ出掛けていった。が、自分は日本で一番海抜の高い所を通ることで知られている小海線に興味があり、清里駅の方へ歩いて行った。

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記念に硬券の入場券を購入し、駅の構内に入ってみた。構内にはマニ50が2両と、12系客車が1両の合計3両が「マザーグーストレイン」と銘打たれて塗り替えられた状態で、使われていないホームに停車していた。まあ、停車というよりは、留置の方が正しいかもしれない。

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パチパチと写真を撮っていたら、駅員さんが(列車が走ってない側の)線路に下りて撮ってもいいよ、と声を掛けてきた。今では考えられないが、のどかな時代ではあった。

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この日は営業してなかったが、「マザーグーストレイン」の中ではグッズや土産物が売っている感じだった。

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ほどなく首都圏色(朱色)に塗られたキハ20系の2エンジン車であるキハ52で編成された列車が姿を見せた。

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この日は平日の火曜日だったが、2両編成の列車には、けっこう客が乗っていたので驚かされた。

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反対側からは、清里駅で交換(すれ違う)するキハ58系の列車が姿を見せた。こちらも多くの客を乗せていた。

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最も標高の高い所にある野辺山駅にも行ってみたかったが、団体旅行中ということで行くことはかなわず、残念だった。
 その後、バブル景気は弾け、清里駅前の賑わいも消えてしまった。今では訪問した当時と比べて清里駅の乗降客が1/6以下にまで減少し、ついには駅員もいなくなったらしいというから、時代の変化を感じずにはおられない。

10代の頃、将棋に熱中していた時期があり、大阪の福島にある関西将棋会館の道場で一日に12~15局ほど指していたことがあったが、そのときは、その日の対局の全てを記憶していて、帰宅後に棋譜をノートに書いていたりするほどだった。そんな記憶力のあった自分も、50代半ばを迎えた今、人の名前がなかなか思い出せないとか、昔の記憶が次第にあやふやになってきているのを実感する。
 そう考えると、時代の変化だけではなく、自分も大きく変化していると言える訳で、こうして文字にして記憶を残しておくことは重要なことだと思うようになった今日このごろではある。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

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