1987年4月1日(水) JR最初の日・京都駅

1987(昭和62)年3月31日、日本国有鉄道=国鉄が幕を閉じ、翌4月1日に分割民営化されてJRが発足した。
 とはいえ、きっちりと区切りがある訳ではなく、運行される列車は途切れることなく走り続けていた。

4月1日の朝、京都駅へ「旅立ちJR」号を撮りに出掛けた(←クリックすると記事に飛びます)。

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京都盆地の東側にある東山から差し込む朝日を浴びながら、東京から大阪に向かうJR西日本の旅立ち号が姿を見せた。

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最後尾に復活したばかりの展望車マイテ49が連結されていた。

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京都駅7番ホームには、数分は停車していたように思う。何せ、4-5番ホームの東端にいた自分が、跨線橋を渡って6-7番ホームの東端に移動してマイテ49の写真を撮影した後、さらに西端に移動して先頭のEF65PFを撮影するだけの時間的余裕があったのだから。もちろん、当時はまだ20歳の若さだったので、それだけ走る体力もあったのだが。

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そんな特別な列車が姿を見せたとはいえ、この日の朝の京都駅構内には、いつもと変わらない時間が流れていた。

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新潟からやって来た大阪行きの寝台急行「きたぐに」も、青森からやって来た大阪行きの寝台特急「日本海」も、いつものように走って来た。

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3番ホームと4番ホームの間には、通勤用の103系が休んでいたが、その先頭車の運転席側窓下には小さなJRマークが貼り付けてあった一方で、3番ホームに入線する201系には無かった。

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485系の特急「雷鳥」の先頭車には、まだJNRマークが輝いていたが、これも取り外されてしまうのだろうかと、ふと思った。

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朝の山陰線1・2番ホームには、特急「あさしお」が並ぶひとときがあった。

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宮津線経由の城崎行きと倉吉行きが出発の時を待っていたのだった。
 キハ181系には、特に荷物室は無かったが、ホームには、なぜかいつも何か運ぶ荷物が置いてあり、最後部の運転席に袋のまま積み込まれていた。今となっては、その中身は分からない。夜行列車だと、よく朝刊の新聞を積み込んでいるのを見たものだったが。

宮津線経由の城崎行きは、出発してから終点に着くまでに2回も方向転換する珍しい特急として知られていて、確か西村京太郎の鉄道ミステリー(推理小説)にも登場していたような気がする。

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こちらにもJNRマークは健在だった。
 当時は、特に気に留めてなかったが、いつの間にかこれらのJNRマークは取り外されていたように思う。販売されたという話も特に聞かなかったし、スクラップになってしまったのかもしれない。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。