京都市電が1978(昭和53)年9月30日をもって全廃され、1981(昭和56)年5月29日に京都市営地下鉄が開業するまでの間、自分の住む家に最も近い所を走る鉄道は京福電鉄(→後に叡山電鉄)になった。
物心ついた頃から、その京福電鉄鞍馬線でよく見たのが、昭和初期に製造された丸みを帯びた車体が特徴のデナ21型だった。
そのデナ21型も、時代が昭和から平成に変わった頃から引退が相次ぎ、最も若番であるデナ21+デナ22が最後に残された。
その最後に残った2両も引退の日が訪れ、1994(平成6)年の晩秋に「お別れ運転」が行われることになった。

1994(平成6)年11月27日の日曜日、市原駅と二ノ瀬駅の間へ撮影に出掛けた。
見慣れたデオ600型がやって来て、真っ赤なモミジの横を通過して行った。当時は、まだ「紅葉のトンネル」は整備されていなかったので、沿線で真っ赤な紅葉がある場所は限られていた。

鞍馬で折り返し、出町柳行きとなって、デオ600型が戻って来た。
そのデオ600型も、京福電鉄が叡山電鉄に変わったのを機に、前面に「EIDEN」と大書されたステッカーが助手席側の窓下に貼られていた。
続いて、本命のデナ21型がやって来た。その車体には、花電車のような飾り付けがなされていたが、肝心の車内の方は、思っていたほど混んでいる様子は見えなかった。
引き続き、鞍馬で折り返してきたデナ21を、今度はモノクロフィルムを詰めた方のカメラで撮影した。こちらは超望遠レンズでの撮影だった。

カラーフィルムを詰めた方のカメラは、標準系ズームレンズで撮影。これが、自分が見たデナ21型が走っている最後の時になった。
何年か経ち、デナ21は前頭部のみが鞍馬駅に保存・展示されて、そのまま今に至っている。
一人の鉄道ファンとしては、動態保存とか、少なくとも現役時代の姿のままで保存して欲しいと思ったものだが、経営の厳しい地方鉄道では難しいことなのだろう。そういう意味では、前頭部のみでも残され、今も大切に保存されているのは、まだましな方かもしれない。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。