1978年3月29日(水) 岡山への帰省

鉄道写真を撮り始めてから、初めて迎えた岡山への帰省。家族は新幹線を使ったが、自分は一人だけで在来線での帰省を選んだ。
 在来線を旅行と言えば、今では定番となった18きっぷがあるが、当時はまだ発売されておらず、普通切符を買うしかなかった。しかし、当時の自分はまだ小学生だったので、子ども料金=半額という特典(?)があった。

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京都駅から153系の新快速を利用して終点の姫路駅に到着。当時、確か一日に1往復しか運転されてなかった、姫路発、岡山行きの快速列車を待つ。
 姫路駅の構内には、クモニ83の荷物電車と、奥には播但線用の旧型客車が止まっていた。

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別のホームには、播但線経由で山陰方面へ向かうキハ82系の特急「はまかぜ」の姿も見られた。

姫路と岡山を結ぶ快速は、当時、憧れだった80系の元祖「湘南電車」が使われていた。(←太字をクリックすると、80系電車に乗車した時のレポートに飛びます)
 それに乗車することが、家族とは別で、わざわざ在来線を使って岡山へ帰省する理由の一つにもなっていた。

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クロスシートの並ぶ車内では、向かい側に岡山に住んでいるという親子連れが座った。自分より年下の男の子と、その母親だったが、自分が小学5年生で、たった一人で京都から岡山へ帰省しているというと、たいそう驚かれた。

岡山までの1時間ほど、その親子と話が弾み、その後、何度か手紙のやりとりをしたことを覚えている。

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岡山駅には、見慣れないキハ181系の姿があった。当時、特急「やくも」として食堂車を組み込んだ編成で、岡山から伯備線経由で山陰方面とを結んでいた。

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国鉄岡山駅で改札を出て、ここからは下津井電鉄バスに1時間ほど揺られて、倉敷市児島を目指した。
 今では本州と四国を結ぶ備讃線(瀬戸大橋線)が出来て、児島にもJRの駅があるが、当時は岡山駅からバスを利用するか、宇野線の茶屋町駅か宇野駅からバスを利用するしかなかった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。