国鉄がJRに変わって間もなくの頃のこと。
当時は、大阪府内にある大学へ通っていたが、京都から奈良を経由して大阪に向かうというルートだったので、行き帰りの途上で、ついでに撮影することが多々あった。
ある日、奈良と名古屋を結んでいた急行「かすが」を撮影しようと、奈良-平城山間にある踏切を訪れた(←太字をクリックすると記事に飛びます)。当時でも、いつ廃止されてもおかしくない存在だったからだ。

当時、京都と奈良を結ぶ奈良線は、105系ばかりだったが、新造車ではなく、ほぼ103系からの改造車で占められていた。

非電化の亀山方面と奈良を結ぶ関西線は、キハ47系やキハ58系ばかりだった。

当時、奈良線を走っていた105系は、京都から奈良を通り、桜井まで乗り入れている運用もあった。

ウグイス色に黄色の警戒帯を巻いた103系は、関西線の奈良-難波(大阪)の普通列車で運用されていて、車庫のある平城山まで回送で走っている姿も見られた。

ここでモノクロフィルムにスイッチ。105系は飽きるほど走っていたが、ここでは他に通る車両もあまり無いので、とりあえずシャッターは切っていた。
関西線の非電化区間に直通する列車は、なぜかキハ47系+キハ58系という組み合わせの編成が多く見られた。

ようやく、お目当ての急行「かすが」がやって来た。しかし、急行とは言っても、奈良から国鉄→JRを使って名古屋まで行くお客さんは少なく、たったの2両編成という有り様だった(注*繁忙期には増結されていた)。
しかし、今にも廃止されそうと思っていた割には、その後も運行は続けられて、最終的に廃止されたのは、この撮影の時から20年近く経った2006(平成18)年のことだった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。