1980年12月末、岡山への帰省の帰り道、山口県の宇部線と小野田線を走る旧型国電を撮りに行った。(←太字をクリックするとレポートに飛びます)
その帰り道、小郡駅から夜行列車で京都へ帰ることにしていたが、当時、中学生でお金が無かったので、年末年始に運行されていた座席利用することにした利用することにしていた。
いくつか候補はあったが、関西と九州を結ぶ夜行列車で「明星」や「彗星」「あかつき」は当たり前だったし、座席車で編成されていた夜行急行の「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」は、この年の10月にあったダイヤ改正で廃止されてしまっていた。そこで、名古屋と九州を結んでいた特急「金星」の臨時列車を利用することにした。こちらは14系座席車で編成されていた。

小郡駅のホームで待っていると、次々と夜行列車が姿を見せていたが、臨時の「明星52号」は、珍しい電源車カニ25を連結していた。
この夜は寒く、みるみる雪が積もり始めていた。その後、目的の「金星52号」が来たので、意気揚々と乗り込んだ。
座席車で一晩を過ごすのは大変だが、14系座席車は簡易リクライニングシートで少し背もたれを倒せる分、まだ直角イスの大垣夜行(=大垣と東京を結んでいた夜行の普通列車)よりはマシだった。
しかし、まだ中学生で体重が軽かったせいか、少し気を抜くと「ガタン」という音を立てて、背もたれが戻るのには閉口した。不快なこともあるが、何より大きな音を立ててしまうことで、他のお客さんに迷惑を掛けてしまうことが嫌だったのだが、実際、他のお客さんも同じ現象に見舞われているのだった。

翌朝、新大阪駅に到着。ここでは、なぜか長い停車時間だった。
方向幕には「名古屋」としか表示してなくて、「金星」の列車名を示すものは、ドア横にあった愛称板のみだったが、盗難防止のためか、厳重に針金を巻いて固定してあった。
大晦日の朝ということもあり、新大阪駅の構内に人の姿は見当たらず、がらんとしていた。

名古屋行きなので、京都まで乗車することが出来たのだが、何を勘違いしたのか、特急券を新大阪までしか購入していなかった。車掌さんに事情を話せば、特に差額が発生する訳ではないので、そのまま乗って行けたのだが、当時はそういう「知恵」を持ち合わせていなかった。

新大阪から京都方面へ向かう113系の快速に乗り込む。車窓からは、向日町運転所に長らく留置してあった、EF58の47号機の姿が見えた。ヒサシ付きの大窓機で人気のあった同機は、ここで長らく留置状態にあって、何度も車窓から眺めていたが、その後、いつの間にか姿が消えた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。