1981年7月26日(日) 東海道線・神足-山崎-高槻間

1981(昭和56)年7月26日の日曜日、この日は特急「つばめ」が大阪発、東京行きで復活運転される日だった。(その日の様子はこちら←クリックすると当該記事に飛びます)

この日は、かなりシャッターを切っていたので、まだ紹介してなかったカットを見てみる。

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この日、最初に行ったのは、神足-山崎間の撮影ポイントだった。まだ583系で運行されていた寝台特急「なは」が姿を見せた。当時は、西鹿児島と京都を結んでいたが、1984(昭和59)年2月のダイヤ改正で、それまでの583系からブルートレインである24系25形客車に使用車両が変わってしまった。

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既に余剰気味になっていた583系は、ダイヤ改正の度に急行から格上げになって車両が不足していた特急「雷鳥」にも転用されていた。

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関西地区の東海道・山陽線では、主に快速運用に湘南色の113系が、まさに見飽きるほど走っていたが、利用低迷が続いていたグリーン車は、既に外されていた。

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EF58の54号機が、単行で姿を見せた。まだ数多く走っていたEF58だったが、白Hゴムの機はあまり人気が無かったように思う。

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大阪と北陸方面を結ぶ特急「雷鳥」も、見飽きるほど走っていたが、こちらはボンネット型、貫通型、非貫通型に加えて、583系や、臨時で14系客車も走っていたので、そういう面ではバラエティに富んでいた。

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ここまで撮影してきた神足-山崎間の撮影ポイントでは、(復活運転する特急「つばめ」と同じ)上り列車は編成全体が見えないので、思い切って高槻-山崎間の方へ移動することにした。ところが、よく考えてみたら当たり前の話なのだが、既に主な撮影ポイントは埋め尽くされていて、もはや入れるポイントは限られていた。
 思案しているうちに、キハ82系の特急「はまかぜ」が前を通過していった。

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また白Hゴムの機である、EF58の77号機がやって来た。

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続いて、寒冷地から広島機関区に転属して東海道・山陽線で活躍していたEF58の63号機が姿を見せた。広島機関区に所属するEF58は、パンタグラフを下枠交差形のPS-22に換装した機が多かった。

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24系25形の寝台特急「明星」と113系の快速がすれ違った。

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宮原機関区に所属するEF58では最も標準的な姿とも言えた、原型小窓の100号機がけん引する団体臨時列車が通って行った。振り返ってみると、この頃は、EF58が最後の活躍を見せていた時期ではあった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。