時代が昭和から平成に変わったばかりの1989(平成元)年2月、北海道ワイド周遊券を使い、一週間かけて北海道をぐるっと早回りで1周した。
前半は道央から夜行急行「利尻」に乗って稚内、そして折り返して遠軽で一泊した後、網走から「オホーツク海に一番近い駅」北浜駅への訪問を経て、標茶駅前の旅館に泊まった。
標茶駅前にある谷川旅館というところに泊まったのだが、学生寮みたいな感じの宿だった。夕食は、その日の宿泊者が食堂に集まる形式だったが、その食事内容が凄かった。イクラや筋子、ホタテといった海産物が山盛り出て、もうお腹いっぱいかと思ってたら、まだジンギスカンが出てきたのだった。当時、20代前半の自分たちも、これには驚かされた。何せ、一泊4000円もしなかったのだから。
2月9日、この日は朝から快晴だった。標茶駅は、三角屋根が特徴的な駅舎だった。
改札口の右側には「3月11日、JRは地球2周分の列車を増やします」と銘打ったポスターが貼られていた。少子化、コロナ禍で減便や路線廃止ばかりが話題になる今となっては、考えられない。
標茶駅のホームには、標津線の根室標津行きのキハ40単行が止まっていた。
標津線のホームにあった駅名標は、標津線仕様になっていた。この標津線は、既にこの年の4月30日に全線廃止になることが決まっていたので、残すところ2ヶ月余りに迫っていたが、かといって、この日は特に混雑も見られず、閑散としていた。
根室標津ですぐに折り返し、中標津で下車。ここから支線に乗り換えて、根室線の厚床駅に向かった。
厚床駅では、この時はまだホタテがたっぷり入った駅弁を売っていて、それがこの日の昼食になった。既にフィルムが残り少なくなっており、写真を撮ってなかったのが残念だ。
根室駅に到着し、駅の周辺を散策した後、再び駅に戻る。外は昼にもかかわらず0度近いの寒さだったので、ストーブが焚かれていた待合室の温かさが嬉しかったが、うかつにも裸で持っていたカメラとレンズが内外とも一気に曇ってしまう失態を犯してしまった。
30分ほどで曇りが取れた。駅の構内には、キヨスクの売店の他に、たこ焼きやたい焼きを売っている売店があり、おやつの時間を迎えたためか、地元の子どもたちが買いに来ている姿が見られた。
根室からは急行「ノサップ」に乗って釧路へ向かう。急行列車ではあるが、キハ54の単行だった。
根室駅を発車して間もなく、先頭車の窓から、日本最東端にある駅として知られる東根室駅が見えたが、駅と言っても停留所みたいな感じだった。
続いて、昆布盛駅も似たような駅だった。北海道には、こういった停留所タイプの駅が各地に点在したが、その後の乗客減少で次々と廃止されてしまっているようだ。
一連の北海道旅行の写真は、みなリバーサルのカラーフィルムであるコダック社のコダクローム64プロ(PKR)で撮影されたものだが、33年が経った今も、目立った劣化や「退色」も見られず、比較的良い状態を保っている。当時も、コダクロームは保存性が良いと言われていたが、それを30年以上も経ってから実感している。とはいえ、もはやコダクロームは入手も現像も出来なくなり、過去のものとなってしまった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。