1986(昭和61)年5月のある日、大阪府南部にある河内長野を訪れた。36年が経った今、何かの用事で行ったことは覚えているのだが、それが何の用事だったのかが思い出せないでいる。

この時は、往路は一味変わったルートで訪れた。まず関西線の柏原駅に着き、そこで近鉄に乗り換えるというものだ。
当時の国鉄柏原駅と、近鉄柏原駅は同じ構内にあり、特に仕切りなどは無かった。(注*それは今も変わってないらしい)そのため、柏原駅のホームは1番線が近鉄で、2~4番ホームが国鉄関西線になっていた。
ここで近鉄に乗り換え、支線である道明寺線に乗り、道明寺駅へ。そして、河内長野行きの準急に乗り換えたのだった。

河内長野駅では、南海電鉄と接続している。そこで、駅の近くで、南海の車両を撮影することにした。

駅近くの線路沿いから、河内長野駅構内を望遠レンズで撮影した。京都に住む自分には、見慣れない車両ばかりだった。

湘南2枚窓の電車=21000系も、この時はまだ元気に走っていた。

特急「こうや」は、1984(昭和59)年から30000系電車になっていた。

最もよく見かけたのは、銀色のステンレス車体が特徴の6000系電車だった。

この電車は、ステンレス車体よりも、その台車が珍しいもので目立っていた。それは、台車の外側にディスクブレーキがあることで、他ではあまり見られないものだった。

国鉄・私鉄を問わず一世を風靡した湘南2枚窓の電車も、本家の国鉄80系が姿を消し、EF58も淘汰され、次第に見られなくなっていった時期でもあった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。