1981(昭和56)年の夏休み最初の週末、東海道線の東京-大阪間で、かつての特急「つばめ」が復活運転されることになった。
土曜日に東京発、大阪行きの下り列車が運行され、日曜日に折り返しで上り列車の大阪発、東京行きが運行されるというスケジュールだった。
友人と一緒に撮影に行くこととしたが、土曜日は用事があって行けず、日曜日に東海道線の山崎駅を訪れた。
京都駅から山崎駅へ向かう道中、車窓にはカメラを手にした数多くの鉄道ファンの姿が沿線に見えていた。そのことで、具体的にどこで撮影するか迷いが生じてしまった。
とりあえず、山崎駅より東寄りの撮影ポイントへ。
この日は、買ったばかりの200ミリ望遠レンズのデビュー戦でもあった。当時、既に一眼レフ(ニコン)を持ってはいたが、50ミリの標準レンズの1本しか持っておらず、広角・望遠レンズは友人から借りていたのだった。お年玉を貯めたりして、やっと望遠レンズを手に入れたので、その期待感は大きかった。
そんな自分の目の前をEF81を先頭にした寝台特急「日本海」、485系特急「雷鳥」が相次いで通るが、まさに覗いていたファインダーからはみ出さんばかりの大迫力だった。
普段なら余り撮る気も起こらないEF65けん引の貨物列車も、シャッターを押していた。ほぼ空荷のコンテナ列車が来たかと思えば、2軸貨車を連ねた一般貨物列車もやって来た。
上り青森行きの特急「白鳥」が通過して行ったところで、友人が山崎駅の西寄りに行こうと言い始めたので、急遽、移動することにした。
サントリーの前で、EF58けん引の下り荷物列車が横を通過して行った。そのサントリー前のカーブは、恐ろしいほどの人出で、撮影ポジションを確保するのは無理だった。
仕方ないので、さらに大阪寄りへ歩いて行った。
ようやく、撮影ポジションを確保できそうなポイントに到着。あとは、復活運転の特急「つばめ」を待つばかりだ。
お召し列車専用機のEF58-61号機を先頭にした特急「つばめ」が見えてきたが、客車はブルーの14系座席車が連なっていて真ん中に寝台特急用の食堂車オシ14が挟まっていた。全然「つばめ」っぽくなかったので残念だったが、まだインターネットも無い時代、事前の情報も殆ど無く、こうした「当日に見て、がっかり」ということは、実はよくあった。
ただ、日常の中で、普通に運転されている列車を退避させたり、ダイヤを変更してまで、こうした特別な臨時列車を運行させたことは、当時の国鉄ならではという感じで、JRとなって、分社化された今、もう二度とこういう列車は運転されることが無い気もして残念である。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。