平日の朝と言えば「通勤ラッシュ」の時間帯である。鉄道は分刻みで次々と列車が発着して、多くの人が駅のホームを行き交う。
その時間帯、京都駅でも、東海道線では多くの電車が行き交っていたが、山陰線は非電化の単線で、物理的に運転本数を増やせないため、長い編成の客車列車が数多く発着していた。
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1987(昭和62)年11月最後の日、京都駅の山陰線ホームには、次々と上りの客車列車が到着していた。この頃、既に旧型客車は姿を消していて、真っ赤な50系か、青い12系ばかりだった。どちらも基本的にクロスシートが並ぶ似たような車内だったが、違いは50系の方が昔ながらの蒸気暖房を使用していたことだった。
京都駅に着いた客車列車は、先頭に立っていたDD51ディーゼル機関車を前後付け替えるため「機回し」を行っていた。そのため、山陰線ホームの線路は、機回しに都合良い構造になっていた。
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誘導員が旗を振り、次々と機回し作業が行われていた。
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その間、折返しで京都駅を出発する客車列車は、一旦ドアを閉じていて、乗客はしばらく待たされていた。
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2本しかない山陰線ホームに、次々と客車が発着するので、付け替えの機関車も含めて、DD51が何両も目に入った。
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気温が下がり、50系の客車列車では蒸気暖房が使用されているため、専用のボイラーを搭載しているDD51からは白い蒸気が立ち上っていた。
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この当時、京都駅の北側にはビルとか殆ど無かったので、山陰線で出発を待つ列車の後方に京都タワーがよく見えた。
ホームでベルが鳴り、ドアが閉まったのを確認してから、(機関士に向かって)車掌が無線で「○○列車、発車!」と言うと、返事代わりに汽笛がポーッと鳴って、列車は出発していく。
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入れ替わるように、また客車列車が京都駅に進入してくる。
そんな客車列車が次々と発着し、機回し作業が休むこと無く続けられていたひとときも、もはや遠い過去のこととなってしまった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。