1980年8月12日(火) 瀬野機関区・その2

1980年8月の夏休み。初めて瀬野機関区を訪れた。(⬅クリックすると記事に飛びます)

瀬野機関区は、瀬野駅に隣接していて、駅から歩いてすぐの所にあった。

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構内を横切る踏切があり、横断しようと思ったら警報音が鳴り始め、115系の普通電車が目の前を通過して行った。
 広い構内は、がらんとしていた。のんびりとした昼下がり、国鉄職員の人たちは、空き地で草野球していた。

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草ぼうぼうの留置線には、EF61-200番台とEF59が何両も休んでいた。

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EF59-7は、パンタグラフが下枠交差型のPS22に交換されていたが、戦前製の大きなデッキ付きの旧型電気機関車には、小さすぎてバランスが悪く見えた。

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EF59の表情は、片側は本来のぶどう色だったものの、自動開放の付いた密着自動連結器が装備されるなど、いかめしいものだったし、その反対側はトラ模様の警戒色に塗られていて、いかにも特異な形態ではあった。

貨物列車の補助機関車=補機として使われていたEF61-200とEF59だったが、EF60を改造して誕生したEF61-200の単機では役不足だった。しかし、重連では新たな問題(=補機のパワーが強過ぎて、本務機が非常ブレーキを掛けた際に押されている貨車が脱線する恐れ)が発生して計画は中断し、本来は置き換えられる対象だったはずのEF59が生き延びるという結果になってしまった。

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そのEF61-200には、重連での運用を想定して、片側に小さなデッキが付いていた。中には、さらに小さいデッキ(=片側にしか梯子が付いてない)が装備された機もあった。

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重連は無理、単機では運用が限られる…ということで、中途半端な存在のEF61-200は、その後、新たにEF67が登場したことで、あっさりと姿を消してしまい、その活躍期間は短いものになった。

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帰り道、EF65-535けん引の貨物列車がやって来た。このEF65-535号機も、ブルートレインけん引用にEF65一般型から改造された機だが、こちらも本来のブルートレインをけん引した期間は短いものに終わり、その後は貨物列車のけん引に専念。国鉄からJRに移行した時には、そのままJR貨物へ引き継がれた。運良く、同機は今では東芝府中事業所で大切に保存されている。

瀬野機関区は、1985(昭和60)年3月に派出所に格下げになり、国鉄がJRになる前の1986(昭和61)年11月に廃止となった。あの頃、国鉄職員の人たちが草野球できる広さのあった敷地も、今では跡地が駐車場やモノレールの駅に変わり、駅舎も改築されて大きく変貌。近くには団地も開発され、当時の面影は全く残ってない。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。