1987年11月 京都駅・山陰1番&2番ホーム

国鉄がJRに変わった1987(昭和62)年は、自分の一生の中で最も鉄道写真を撮影していた1年だった。
 それは、国鉄が民営化されてJRになることで、予想もしない変化が起きるのではないか、という気持ちと、これは恐らく歴史的な出来事だから、記録しておかねばと思ったからかもしれない。

確かに、この前の年から、この年の春にかけて、当時の国鉄は、全国各地で驚くほど鉄道ファン向けのイベントを開いていた。そういうところに、どこか「国鉄民営化をなんとか阻止して欲しい」という思いを感じたのも事実だった。

この年、自分は山陰本線の京都口で活躍していたDD51を一年を通して追い掛けていた。そんな晩秋の11月、朝の京都駅を訪れた。

IMG_20160413_0377

当時、山陰本線の京都口からは、既に旧型客車は姿を消していたが、真っ赤な50系と、青い12系の客車列車が朝夕のラッシュ時を中心に数多く運転されていた。

IMG_20160413_0859

その客車列車の先頭は、いずれもDD51だったが、中には重連あり、折り返しの時間を節約するために後部にも機関車を連結したプッシュプルもありで、変化に富んでいた。

IMG_20160413_0335

行き止まり式の京都駅・山陰1番&2番ホームに到着した客車列車は、先頭でけん引する機関車であるDD51を、前から後ろへ付け替える必要があり、その作業は「機回し」と呼ばれていた。

IMG_20160413_0856

朝夕のラッシュタイムは、立て続けに客車列車が到着しては折り返して行くので、この機回しの作業がひっきりなしに行われていた。

IMG_20160413_0857

そんなラッシュタイムだが、到着した大勢のお客さんが降りては、みんな一斉に改札口や跨線橋のある東側の一方向へ移動して行ってしまうため、この山陰ホームの西側は意外にも閑散としていたものだった。そもそも、当時は単線だったので、今みたいに10分に1本といったハイペースで行き来している感じも無かった。

IMG_20160413_0875

かつての旧型客車と異なり、50系や12系は自動ドアになったが、車掌さんの仕事量はそう変わった訳でもなく、発車の際には無線で「●●●列車、発車」という声が聞こえたかと思うと、機関車が「ポー」と汽笛を鳴らす。

IMG_20160413_0183

そして、DD51の方からディーゼルエンジンの咆哮が聞こえたかと思うと、ガタンと連結器同士がぶつかる音がしては、ゆっくりと発進していくのが常だった。
 今では、騒音問題などで発車の際に汽笛を鳴らさなくなってしまった。トンネルに入る時や、鉄橋を渡る時も、かつては汽笛が鳴っていたものだが、今では何かを知らせる汽笛というより、危険を知らせる「警笛」になってしまった感がある。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。