ゴールデンウィークと言えば、今では大型連休と称されて、多くの人が旅行やレジャーで出掛ける時期になっているが、昭和の時代は5月4日が祝日では無かったこともあり、せいぜい飛び石連休が続くような感じだった。そもそも飛び石連休になっても、その合間の日には普通に学校の授業もあったので、今とは全く異なる状況だった。
1979(昭和56)年のゴールデンウィーク最終日は5月6日の日曜日で、この日は友だちと国鉄の向日町操車場へ出掛けた。(⬅クリックすると記事に飛びます)
向日町駅から延々と歩いて、神足(=現・長岡京)駅寄りの立体交差の所まで行く。ここには大阪方面からの引き込み線があり、向日町操車場へ入庫するブルートレインなどが通る場所だった。
当時は見飽きていたボンネット型の485系特急「雷鳥」が目の前を通過していく。食堂車組み込みの堂々たる12両編成だったが、当時はこのスタイルが国鉄特急の定番ではあった。
近くに踏切も無いので、ぼーっとしていると、急に列車が姿を現す。白帯のカヤ24型を最後尾にした寝台特急「明星」がやって来た。
ぐるっと回って、反対側へ。今度は583系の寝台特急「彗星」が姿を見せた。
少し離れた所にある東海道線を153系ブルーライナーで編成された新快速が通過して行く。当時、後継の117系の登場が噂されていて、最後の活躍を見せていた。
前年秋のダイヤ改正で、西鹿児島発、京都行きの583系寝台特急「明星」は、同じ583系の「なは」に変わっていた。
113系の快速と足の速さを競うようにして並走しながら京都の方へ走り去って行った。
向日町操車場のはずれに寂れた転車台(ターンテーブル)があり、その近くで撮影していたのだが、その転車台に向かってキハ82の先頭車が単行でやって来た。何をするのかな、と思っていたら、単純に方向転換のためだったようで、キハ82-105号車が向きを変えて再び操車場の方へ帰って行った。
ちょうど後ろを113系の快速が通過して行ったが、たまたまグリーン車が写り込んだ。当時、まだ関西地区の113系にはグリーン車が組み込まれていた。
475系の急行「立山」が通過して行った。既にビュッフェ車は外されていたがグリーン車が組み込まれた10両編成だった。
帰り道、向日町操車場の横を駅に向かって歩いていると、かつて急行列車でビュッフェ車として使われていた車両を改造した珍車クヤ153が止まっているのを見付けた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。