1978年3月の日曜日、級友たちと市電に乗って京都駅へ向かい、そこから東海道線の電車に乗って東に向かい、滋賀県の守山駅で下車した。
なぜ守山駅へ行ったのかは、前のレポート(⬅クリックすると記事に飛びます)を読んで頂いたら分かるが、なんとも小学生らしい(?)間抜けな行動ではあった。
京都駅から野洲行きの普通に乗る。途中、膳所駅で亀山機関区のDD51がけん引する草津線に向かうであろう貨物列車を追い越した。
守山駅までお世話になったのは、新快速の間合い運用で使われていた153系ブルーライナーだった。
守山駅のホームに居ると、こちらは湘南色の153系で編成された急行「比叡」が通過していった。
貨物列車も頻繁にやって来て、真っ黒なEH10も、よく姿を見せていた。
京都駅に戻ると、西鹿児島発、京都行きの583系寝台特急「明星」が到着したところだった。ちなみに、この「明星」は、そのまま東へ進み、野洲電車区に入庫し、夕方まで折り返しのひとときを過ごしていた。
1番ホームの東端にいると、6番ホームに北陸方面から来た475系の急行が目に入った。あわててホームを駆け出し、跨線橋を渡って、6番ホームに向かった。この辺りは、いかにも子どもらしいフットワークの軽さだ。
そこには、急行「ゆのくに」が停車していた。この頃は、まだヘッドマークが大きなものだったが、この年の秋以降、マークの横幅が貫通路内に収まる小さなものに変わってしまった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。