1978年3月12日(日) 守山駅・京都駅

鉄道写真を撮り始めた頃、撮影に向かうのは、もっぱら「駅」だった。小学生にとって、駅こそ手軽な撮影場所だった訳だが、当時は日曜日になると、カメラを手にした子どもたちが駅のホームを走り回っている状況で、実際、事故も起きていた。
 京都-大阪間の開業100年を祝ってSLが運行された時にも死亡事故が起こったし、他にも何度か死亡事故があった。そのため、子どもたちだけで撮影に出掛けるのを、親たちはきっと心配していたことだろう。
 そういう親の気持ちは、自分が親の立場になるまで分からなかったが…。

1978年3月の日曜日、級友たちと市電に乗って京都駅へ向かい、そこから東海道線の電車に乗って東に向かい、滋賀県の守山駅で下車した。
 なぜ守山駅へ行ったのか…それは「確か、あの辺りに電車の車庫がある」という曖昧な話からだった。
 実際には、野洲駅の東に「野洲電車区」があったので、そのことだったのだが、当時、小学生だった自分たちには、ネットも無い時代、情報が無くて知る由もなかった。

19780312-5
19780312-6

守山駅へ行っても、(当たり前だが)何も無かったので、そこで折り返すことにしたが、その間、153系「新快速」やEH10けん引の貨物列車が目の前を通って行った。

19780312-8

京都駅に戻ると、寝台特急「明星」が1番ホームに停車していた。

19780312-2

その1番ホームは出入りが激しく、2番ホームとの間に京都と亀山を結んでいるDD51+旧型客車の編成が止まったかと思うと、伊勢・志摩方面へ向かうキハ58系の急行「平安」が入線してきた。DD51から蒸気暖房=SGの白い水蒸気立ち上っていた。

19780312-1

その後、EF58の初期型である4号機が先頭に立つ荷物列車が入線してきたが、こちらも蒸気暖房だったので、隣で止まっているDD51と合わせて、白い水蒸気が激しく立ち上っていた。

19780312-7

大阪方面行きの6番ホームに、特急「雷鳥」が滑り込む。後方に見える跨線橋が懐かしい。

19780312-9

当時は急行も数多く走っており、北陸方面からやって来た急行「ゆのくに」から多くの乗客が京都駅で降り立っていた。

19780312-4

その後、1番ホームに戻ると、向かいの2番ホームに153系「新快速」が入線してきた。当時、新快速は6両編成ばかりだったが、停車駅が今と比べて格段に少なく、例えば京都から西へ向かう姫路行きや西明石行きの新快速は、京都を出ると次の停車駅は大阪で、その間、全くのノンストップだった。

19780312-3

続いて、EF81を先頭にしたお座敷列車が姿を見せた。当時、車内が畳敷きになったお座敷列車は、団体貸切の列車として人気があった。
 EF81が先頭に立っていたということは、北陸方面への列車だったと思われるが、この頃のお座敷列車の車両そのものは、グリーン車とはいえ、旧型客車の改造車だった。

紙面連載

京都鉄道博物館の学芸員が車両や信号など分かりやすく紹介します。 >>

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。