1978年3月30日(木) 下津井電鉄

かつて母方の祖父母が住んでいた兵庫県尼崎市から、祖母の実家があった岡山県倉敷市児島へ引っ越したのが1977(昭和52)年のことだった。
 その後、夏休み、冬休み、春休みの度に帰省していたが、当初、その多くは自分一人だけであったり、妹や従兄弟と一緒に子どもたちだけで行ったことが多かった。親戚の間で最も年長だった自分が引率するカタチだったが、自分も含めた小学生の子どもたちにとっては、ちょっとした「冒険の旅」ではあった。

1978(昭和53)年の春休みは、先に自分一人だけで岡山へ行った。
 今から思うと、小学生の子どもが一人だけで京都から岡山へ、それも在来線を乗り継いで行くというのは、当時であっても珍しい行動であっただろう。いわば家出少年と間違えられかねないことなのだが、小学生の単独行動であるにも関わらず、何度も一人旅した中で、不思議と一度もそういう事態に陥ったことは無かった。

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予定より早く祖父母宅に着いたので、近所を走っている下津井電鉄を撮りに出掛けた。
 当時の下津井電鉄は、昼間の空いている時間帯には、モハ1001が単行運転していることが多かった。

レールの継ぎ目が空いていて、直線を走っているのに左右の揺れが大きく、路面電車ばりの酷い乗り心地だと子供心にも思ったが、トロッコ列車のようにも感じられて、それはそれで楽しくもあった。

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終点の下津井駅に着いた。自分の乗ってきたモハ1001が折り返して児島へ向かって出発した後、がらんとした広い構内に、休んでいる車両が何両も目に入った。

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一番奥の線路上に3両編成が止まっていたが、長く出番が無いらしく、車輪が錆びているのが見えた。

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構内の端には、ボロボロになった車両が放置状態となっていた。あちこち錆びていて、今にも解体されそうな感じに見えたが、この車両(モハ110)は数年後、鷲羽山駅の駅舎として再利用された。

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ホームには、下津井電鉄に於いて当時では最も新しい車両だったクハ24+モハ103の2両編成がパンタグラフを下ろして休んでいたが、なぜかドアが開いていて、車内に立ち入ることが出来た。

当時、小学生の自分だったが、春のポカポカ陽気も相まって、どこかゆったりと時間が流れている感じがしたのを覚えている。

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