1978年9月17日(日) 東海道線・神足-山崎 その2

京都市電の廃止が間近に迫った1978(昭和53)年9月の中旬、当時の同級生たちと東海道線の神足-山崎駅間へ撮影に行くことになった。
 その日、ちょうど部分月食の真っ最中だった午前4時に友人宅に集合し、みんなでタクシーに乗り込んで京都駅に向かった。京都駅からは東海道線下りの始発電車に乗り込み、山崎駅に降り立った。

当時、関西と九州を結ぶ夜行列車は、特急と急行を合わせて、まだかなりの本数が運行されていたので、それこそ次から次にEF58にけん引されたブルートレイン(20系、14系、24系)や14系・12系座席車がやって来た。(前半の様子はこちら←クリックすると記事に飛びます。

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東京発、大阪行きの寝台急行「銀河」がやって来た。当時でも、全車が寝台車で編成された夜行の急行列車は珍しい存在だった。そんな中で、特急用としてもまだ使われていた20系で揃えられた、東京と大阪を結ぶ「銀河」は、それだけ当時の国鉄が、その存在を重視していたようにも思う。

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新潟発、大阪行きの寝台特急「つるぎ」が姿を見せた。当時、ブルートレインでも古い20系だけでなく、14系(14形)と24系(24形)もB寝台は3段式だったので、2段寝台の24系25形はどこか頼もしく見えたものだった。

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同じ日本海縦貫線を走る、青森発、大阪行きの寝台特急「日本海1号」は、まだ3段式の24系24形だった。ちなみに、下りが奇数、上りが偶数になったのは、この年(1978年)の10月ダイヤ改正からだったので、この日の撮影時点では、上りも1号、2号、3号…という呼称が使われていた。

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EF58にけん引された寝台特急「あかつき」が姿を見せた。こちらは新製したばかりの14系15形が使われており、まだ車体はピカピカだった。

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一方で、寝台特急「彗星」や「明星」の方は24系25形が使われていた。当時は関東と九州を結ぶ寝台特急=ブルートレインが、まだ3段式B寝台ばかりだったのに対して、関西と九州を結ぶ方はみな2段寝台だったので、関西人の自分は意味も無く「鼻高々」の気分がしたものだった。
 その後、3段寝台だった14系14形も、24系24形も2段化への改造工事が進められていったが、国鉄がJRに変わり、平成の時代になって以降、格安の夜行バスに対抗して一部で、あえて少し安く利用できる3段式のB寝台が寝台特急に組み込まれる事例もあったが、新幹線網の延伸と共に、ブルートレインは次々と姿を消して行くことになる…。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。